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眞木準さん(のお弟子さん)を囲む夕べ
2015.4.10
対談
13.57.26.jpg2014年8月22日(金)に開催されたTCC交流部30thプロジェクトによる『コピーの殿堂入り巨人を囲む「夕べ」シリーズ』。柴田常文さん、御倉直文さん、後藤宏行さん、忽那治郎さんをTCCクラブハウスにお迎えして、お話しいただきました。

野澤
TCCで幹事をしている野澤と申します。よろしくお願いします。毎年ホール・オブ・フェイムを顕彰された方をお呼びして、お話を伺っているのですが、みなさんご存じのように、眞木準さんは2009年の6月22日に亡くなられています。そこで今回は眞木さんをよく知る後輩の柴田常文さんと愛弟子の御倉さん、後藤さん、忽那さんをお呼びして、眞木さんのお話を伺いたいと思います。では、司会進行役として柴田さん、よろしくお願いします。

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柴田
眞木さんよりも遥かに先輩みたいな風貌で態度もでかいんですけど(笑)、柴田といいます。僕は1975年に博報堂に入社して、その年の8月に第二制作室というところに配属されました。ところが、一年後ディレクターとケンカをしてしまって、すねて一人寂しく暮らしていたんです。そんな時に天下の眞木準が第一制作から第二制作へ移ってくるという。そのタイミングで僕が室長に呼ばれて「眞木準が、アシスタントが欲しいと言っているけどお前行くか?」と言われました。当時2年連続で、最高新人賞からクラブ賞を獲っていた眞木さんは博報堂のスーパースターでしたから、「当然行くでしょう」と。むしろ「僕しかいないんじゃないですか」くらいの気持ちでしたね(笑)。それで76年から眞木さんがフリーになる83年まで一番弟子として7年間付き合いました。さすがに眞木さんが辞める時には「よかった、これで眞木準地獄がなくなる」と思いましたけど(笑)。それは今も鮮明に覚えていますね。今僕は「クリネタ」という雑誌の編集団員をやっていて、眞木さんが亡くなった2009年の夏号に「コピーは、眞木準。」という特集を組みました。眞木さんとの慟哭の日々はそこに書かれていますので、ぜひ読んでみてください。私からの挨拶は以上です。では一人ずつ自己紹介をお願いします。

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御倉
御倉と申します。僕は眞木さんが独立した83年に最初のアシスタントになって、それから4年弱眞木準企画室にお世話になりました。それまではJ.W.トンプソンという広告代理店にいて、同僚にはコピーライターの中村禎さんもいました。その頃はコピーライターブームの全盛期で、僕もトンプソンで一応コピーライターをやっていたんですけど、もっとメジャーで華やかな仕事がしたいと思っていた。そんな時、眞木さんを紹介してもらったんです。会ったら眞木さんから「来ないか?」と言っていただけたので、すぐにトンプソンを辞めました。眞木さんも独立したばかりだったし、僕もアシスタントは初めてだったので、最初は互いに慣れなかったですね。おまけに僕はコピーライターとしてはどうしようもないレベルだったので、眞木さんも苦労したと思います。朝9時に事務所に行って最初に掃除をして、それから乃木坂にあるカフェ・ド・ラペという喫茶店で眞木さんとその日の流れについて打ち合わせをする。で、事務所に戻って電話番をしたり、運転手をしたり、眞木さんの書いたコピーの清書をしたり、そんなことをやりながら4年過ごしていました。

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後藤
後藤と申します。僕は8年間眞木準企画室にお世話になりました。眞木さんのアシスタントとしては最長になるんですけど、8年の間で眞木さんに褒められたことは一度だけです。週刊宝石から「お嬢様の条件」というコラムの依頼が眞木さんに来て、その時眞木さんがすごく忙しかったので「後藤書いておけ」ということになった(笑)。そこで「お嬢様の条件その一、お嬢様は髭を生やしていない」と書いたら、なぜか褒められました。「おまえは凄い」と。眞木さんとの思い出はほんとうに尽きないんですけど、唯一褒められた思い出が印象に残っています。

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忽那
忽那です。よろしくお願いします。僕にとって眞木さんは神様のような人で、コピーライター養成講座の眞木さんのクラスに通っていたんですけど、講義のあとに握手をしてもらいに行くくらい眞木さんが好きだったんです。で、講座の期間中ひょんなことから眞木さんの事務所で人を募集している時に僕を紹介してくれました。眞木さんのところには6年弱くらいいたんですけど、最後まで緊張しっぱなしでしたね。

柴田
今日は生前に眞木さんが語っていた言葉を僕らが集めて、それを紹介しながら眞木さんの思い出を語っていきたいと思います。ではまず〈コピーを、つくる。〉これは御倉?

御倉
眞木さんは「コピーを書く」じゃなくて「コピーをつくる」という言い方をしてたんです。「コピーつくったか?」みたいに。その理由を説明されたことはないんですけど、コピーとは単純に頭に浮かんだことを書くんじゃなくて、何かと何かを化学反応させて生み出すという感覚が眞木さんの中にあったんじゃないかと思います。

柴田
コピーっていうのは、言ってみれば新しい価値の提示でもあるわけで、どうすれば新しい価値をもった言葉を生み出せるか? 「編み出す」って感じなのかな? でも、この話は僕も初めて聞きました。では次に行きます。〈コピーは取材だよ。〉

忽那
これは僕です。事務所に入りたての頃、コピーを書いて見せたらあまりに中身がなかったんでしょうね、「コピーは足を運んで取材してなんぼだ」というようなことを言われました。当時はインターネットなんてものはありませんでしたから、事務所の近くにあった有栖川図書館にはよく行きましたね。そこでヒントやネタになることをなんでもいいからとにかく調べる。食品の仕事だったら「味の素の図書館に行って来い」とも言われました。

御倉
「その商品を体験しろ」ということは僕も言われました。伊勢丹の仕事だったら「洋服は絶対に伊勢丹で買え」。AGFだったら「AGFのコーヒーを飲め」。

柴田
博報堂に「情報センター」というのがあって、ビールの売上とか、過去1年分のビールの広告とか、今だったらグーグルで検索するようなことが全部調べてくれるところがあったんです。ある時高砂熱学という企業の仕事があって、空気の話とかいろいろ調べなきゃならないんですけど、眞木さんが情報センターから膨大な資料を取り寄せるんですね。「あれを全部読まされるのか」と思っていたら、全部自分で読んでいましたね。偉いなぁと思いました。では次に行きます。〈(社是)空腹では、いいコピーを書けない。〉

後藤
これは僕です。眞木さんには常々「ハングリーじゃなきゃダメだ」と言われてました。例えばロケに同行する時、プロデューサーの方が気を利かせてビジネスクラスを取ってくださったりするんですけど、そんな時眞木さんがプロデューサーに電話をして「後藤だけエコノミークラスにしてくれ」と。とにかくいい意味でハングリーな状況をつくってくれましたね。ただ、これがある時からひっくり返るんです。きっかけは仲畑広告制作所なんですけど、仲畑さんのところは宴会でも歌は上手だし、お酒も強い。我々はちょっと地味な人間なものですから太刀打ちできないんですよ。眞木さんはいつも悔しい思いをしていて、何かで勝ちたいという話になった時に「大食いで挑戦したらどうか」と。で、仲畑広告としゃぶしゃぶ対決をすることになったんです。僕はお酒はダメなんですけど、食べる方は自信があって、そこで牛肉を104枚食べて圧勝しました。眞木さんにすごく褒めていただきましたね。そこから社是が変わって「空腹ではいいコピーを書けない」になった。コピーを書くというのは力仕事だから、やっぱりエネルギーに溢れてなきゃいけないって。

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御倉
それ後藤だけなんじゃないの?

後藤
まあ、自分がつくったようなものですけど(笑)。

柴田
眞木さんと一緒に飯行ったりはしなかったの?

後藤
お昼はだいたい眞木さんと一緒なんですけど、夜は6時になると「じゃ俺は帰るわ」って。事務所で食べることはなかったですね。

柴田
お酒があんまり飲めない人だったんですよね。酒場の雰囲気は好きだから行くんだけど、ビール1杯で真っ赤になっちゃう。それでもだんだん飲めるようになったみたいですけど。

御倉
僕は眞木さんとふたりで飲みに行ったのって4年間で1回だけですよ。

後藤
僕は1回もないですね。

忽那
僕の頃は眞木さんが事務所にいるスタッフに「ご飯も兼ねて一杯行かないか?」みたいに声をかけてくれることがありました。

後藤
恵まれているなあ。

忽那
そうですね。

柴田
では、次行きます。これは有名なセリフです、〈ダジャレじゃない。俺のは、オシャレだ。〉

御倉
僕が書いたんですが、有名ですよね、これ。ダジャレじゃないんだと、ダジャレと言うとやっぱり怒ってましたね。眞木準っていうとやっぱりそういうイメージで見られていたと思うんですけど、シャレのコピーでもレベルがあると思うんですね。これは僕の私見ですけど、眞木さんは「前後」がすごく上手いと思う。「トースト娘ができあがる。」というコピーでも「トースト娘」という言葉はもしかしたら見つかるかもしれない。でもその後に「できあがる」という言葉を組み合わせる。前後の組み合わせが上手いんですよ。「裸一貫、マックロネシア人。」とかもトータルのコピーとしてキャッチーなものがある。そこがやっぱり眞木さんの持っている力じゃないかと思います。

柴田
眞木さんにもやっぱり先輩はいて、「白さが違う、という洗剤のCMはできればソニーで見ていただきたい。」というコピーを書いた西田制次さんという方です。この方が眞木さんの師匠に当たるんですけど、西田さんは企業が言って欲しいことをそのまま書くのは愚の骨頂と言っていたんですね。どう伝えれば、今の時代を生きる人がちゃんと受け止めてくれるかを考えろと。西田さんと一緒にいて眞木さんも相当揉まれたはずです。ですから初期の眞木さんのコピーはダジャレなんかないわけです。「十歳にして愛を知った。」とか「子供ができると、映画にも行けないわ」とか、今でいうインサイトを突くというか、そういうコピーを書いていた。それはたぶん西田さんから学んだことだと思います。じゃあその西田制次に勝つにはどうしたらいいかと考えた時に、眞木さんはいわゆる「オシャレ」を見つけたんだと思います。これは一度眞木さんに聞いたことがあるんだけど、ニヤッと笑ってたから、たぶんそうだと思います。だから眞木さんのコピーはダジャレじゃないんですよ。ちゃんと批評が入っているところがただのダジャレと違うんですよね。では次に行きます。〈コピーってのは真理を書くんだよ。〉深いですね。

後藤
僕も眞木さんの前ではダジャレみたいなものは恐れ多くて書けませんでした。というか、書いちゃいけないと思ってました。それでダジャレにすらなっていない何かツルツルしたものを書いていた時に、眞木さんが見るに見かねて「コピーっていうのは真理を書くことなんだ」と。ほとんど怒るような感じで言われました。

柴田
それもたぶん西田イズムだという気がしますね。では次に行ってみましょうか。〈(入社初日)俺は何も教えないから。〉

後藤
これも僕ですね。眞木さんの事務所に入った初日にご挨拶に伺ったんですけど、最初に言われたのが「俺は何も教えないから」。それって何かの比喩かと思っていたら、ほんとうに何も教えてくれなかったですね。書いたコピーを眞木さんのところに持って行くと、パーラメントのタバコにジッポーで火をつけて自室に入るんです。で、30分後に「これファクスで送っといて」って。とにかくどこがいいとか悪いとか、何もおっしゃってくださらなかったですね。今では、教えないことで教えるというか、それが最高の教えであったことを実感していますが。

御倉
僕も同じですね。たぶんボツには理由がないという意識だったと思うんです。ダメな理由は自分で考えなさいというふうに僕は理解してました。

柴田
でも、そういう時のため息ってたまんないよな。

後藤
たまんないですね。生きていけなくなる。

柴田
ほんとうにため息なんだよな。「はぁ〜」って。

後藤
何も言ってくれないんですよね。

柴田
俺の場合はさ、「どれがいいと思うの?」まではあったんだよ。「これなんかはちょっと自信があります」なんて選んで言うんだけど、「はぁ〜」っていうため息だけ。「じゃあこれはどうですか?」と言っても、「はぁ〜」だけだからさ。

御倉
僕もよく怒られましたね。一度事務所の近くの喫茶店でコピーを見せてたら、僕が誤ってロイヤル・コペンハーゲンのカップを割っちゃったんですよ。そしたら店長から「もうここで打ち合わせをしないでくれ」と言われて。眞木さんも怒っちゃって「御倉、ロイヤル・コペンハーゲンのいちばん高い器買って届けて来い」って(笑)。とにかく眞木さんのダメ出しの圧力は凄かったですね。

柴田
では、次行きます。〈キャッチフレーズは、7文字か12文字。〉

御倉
そういうふうに言われたんですよ。「スローガンは5文字がいい」とか、何でそんなこと言うのかなと思ったんだけど、たぶん5とか7というのは、俳句とか短歌とかで日本人のリズムに合っているからじゃないかな。「キャッチフレーズは12文字だ」というのは、パッと見た時の可読性は12文字くらいが限界なんだと。「トースト娘ができあがる。」が句点を入れてちょうど12文字ですね。

柴田
へぇー。

御倉
柴田さんは言われなかったですか?
 
柴田
何文字とは言われなかったな。

後藤
僕もないですね。なにしろ何も教えてくれなかったですから。

柴田
そうするとコピー書く時、文字数が気になっちゃうじゃん。7文字とか12文字とか。

御倉
そうなんです。だからその頃は12文字でばっかり書いてましたね(笑)。

忽那
僕は文字数までは言われませんでしたけど、とにかく短く書けと再三言われてましたね。

御倉
伊勢丹なんかもそんなに長くないですよね。
そういう美意識が眞木さんの中にあったんじゃないですかね。

柴田
なるほどね。

御倉
かと思えば、〈一文字〉

柴田
これは僕が書いたんですけど、例えば「ボーヤハント」というコピーは「ボーイ」の「イ」を「ヤ」に変えただけですよね。「ボーイハント」という誰もが知っている言葉を一文字変えただけでまったく違う世界観を提示している。「あんたも発展途上人。」というコピーも当時世の中に出てきた「発展途上国」という言葉の「国」を「人」に変えただけ。「発展途上国」だとアジアやアフリカの後進国のことを指すだけなんだけど、「発展途上人」となると何か高邁な志しを持った人間がイメージできる。そういうふうに一文字変えるだけで世界観を全部変えてしまうところが眞木さんのコピーの本質的に凄いところで、単なるダジャレなんかではないんですよ。

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忽那
そういうことをもっと早く教わりたかったです。

御倉
変えるなら一文字までだという話は僕も聞いたことがある。二文字変えちゃうと元がわからなくなるって。

柴田
ダサくなっちゃうんだよな。

御倉
「ボーヤハント」の時は僕も眞木準企画室にいたんです。あれは元々ネーミングの仕事だったんですよ。「ボーヤハント」が大好評で結局ネーミングにするのはやめてキャッチフレーズとして使うことになったんです。

柴田
そういう感覚はもう天才的だよね。


後藤
まさに真骨頂ですね。

柴田
ついでに僕も「トースト娘ができあがる。」というコピーについて言うと、あのコピーの最初の読者は僕なんです。あのコピーを書くために眞木さんは一週間帝国ホテルに缶詰になっていたんですけど、「一緒に考えて」と言われていたのでコピーを書いて持っていったんです。そしたらいつものように「はぁ〜」とため息。2日後にあらためて持って行くとやっぱり「はぁ〜」。その後に「これどう思う?」と見せられたのが「トースト娘ができあがる。」で、もうひっくり返りましたね。なんというか、ほんとうにザワザワとしました。「この人には恐れ入りました」みたいな。帝国ホテルから会社に帰る道が寂しかったねぇ(笑)。

御倉
挫折感で?

柴田
挫折感というか、「もう敵いません」みたいな感じ。結局そのコピー1案でプレゼンしました。プレゼンも「来年はトースト娘が日本中を席巻します」というボードをつくるんです。週刊誌のダミーの記事を貼ったりして。

御倉
今だったら新人タレントを起用して「来年はこの新人タレントが日本中を席巻します」というプレゼンをすると思うんですけど、それが言葉なんですね。「このコピーが流行語大賞を獲ります」みたいな。

柴田
そう。あれはほんとにすごかったですね。では次に行きましょうか。〈コピー200本書くことは、200のコンセプトをつくること。〉

後藤
これは眞木さんが取材で話していた言葉です。「コピーを200本書くことは200のコンセプトをつくることである」とおっしゃっていました。コピーライターであれば誰でもそうだと思うんですけど、たくさん書けと言われると語尾を変えて無理矢理数を増やしたりしますよね。僕もそんなことをやっていたので、眞木さんのこの発言を聞いた時は自分に言われているようでドキッとしました。

御倉
何で200なんだろう。100じゃなくて。

後藤
その頃はいつも200本書けと言われていました。

柴田
どんどんいきます。〈俺の文字を真似しろ。〉

御倉
これは僕です。当時はワープロもまだない時代なので、みんな手書きでコピーを書いていたんですね。眞木さんはいつもキャッチフレーズをぺんてるの黒いサインペンで書いてました。片側をわざと潰すんです。そうすると筆文字みたいになるんですね。で、ボディコピーはステッドラーの4Bとか5Bの濃い鉛筆で。筆記具にもかなりこだわりがありました。

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柴田
「文字を真似ることは思想を真似る」みたいな深い意味があったんじゃないの。

御倉
そうですかね。

柴田
僕は偶然にも眞木さんと字が似ていたので、眞木さんが書いたように見せかけてアートディレクターにコピーを渡したりしたこともありました。その後校正が出た時に眞木さんが「こんなコピーを認めた覚えはない」となって、エラいことになりましたが(笑)。では次にいきましょう。〈書いちゃうよ、オレ。〉

忽那
これは僕です。

柴田
脅迫だね、これは。

忽那
眞木準企画室に入ってすぐに言われたのが「コピーを頼まれたらその日のうちに仕上げてくれ」ということでした。眞木さんってたたずまいはゆったりとしてますけど、根はせっかちですよね。

後藤
むちゃくちゃせっかちだよ。

忽那
それから実際に仕事を頼まれたんですけど、いつまでに仕上げろとは言ってくれないんです。僕としては早くやんなきゃと思いながら、時間をかけて考えたいという気持ちもあって、「例の件なんですけど、○○日までお時間をいただけますか?」と言ったら、眞木さんがムッとしながら「書いちゃうよ、俺」って。「失礼しました!」みたいな感じで慌てて提出しました。

御倉
それは怖いよ。

後藤
眞木さんはいつも締め切りを言わないので、3回はダメ出しをされることを想定して自分でスケジュールを立ててましたね。

柴田
なるほど、では次、〈3度に1度はコピーが上手になる。〉これはどういう意味?

後藤
じつは僕も意味がわからないんです。学生時代に僕は広告学校に通っていて、講義の後眞木さんにサインをもらいにいったんです。そこに書かれていたのが「3度に1度はコピーが上手になる。眞木準」という言葉なんですけど、ありがたすぎて意味を聞けなかったんです。

柴田
3割ということかな。3回に1回はいいコピーが書けるようになる、とか。

後藤
いや、僕には無理です。

柴田
三度の飯より、みたいなことかな。

後藤
シャレでもないですよね、元の言葉がある感じでもない。

御倉
わかんないね。

後藤
わかる方がいたら、後でご連絡いただけますでしょうか。よろしくお願いします。

柴田
じゃ、次。〈オレは出た後も考えるからね。〉

忽那
これはさっきの話と逆なんですけど、とにかくギリギリまで考えろ、考え続けろとおっしゃっていました。で、「オレは出た後も考えるからね」と。

柴田
掲載した後も考えるってこと?

忽那
そういう意味だと思います。粘り強く考えることの大切さは身に染みて感じました。土屋耕一さんは輪転機の隣でも書いていたという話を教えてもらったこともあります。

柴田
耳の痛い話だね。最近はクライアントのオーケーでもうホッとしたりしてね。ダメだね。
はい、どんどんいきます。〈せいぜい2時間。〉これは俺だ。これは似たようなのがもう一個あるんですね。〈2時間あれば、なんでもできる。〉

後藤
はい、僕です。

柴田
「せいぜい2時間」というのは、どんなに腹に力を入れて考えてもせいぜい2時間が限界で、2時間経っても何も出てこなかったら違うことを考えろ、ってことです。でも、2時間考えるっていうのも大変なんだよね。

御倉
2時間はもたないでしょう。

柴田
今なんか45分ももたないよ。

御倉
僕は15分って言われましたよ。「考える」のは15分が限界だと。15分経ったら考えるのをやめて違うことをした方がいいと言うんです。土屋耕一さんがそうだったみたいです。15分しか集中して考えないって。15分考えたら洗面所に行ってぬるめのお湯をたっぷり溜めて、石鹸でゆっくり手を洗うらしい。

忽那
その話は僕も聞いたことがあります。

柴田
何で手を洗うの?

御倉
気分転換でしょうね。

柴田
もうひとつの〈2時間あれば何でもできる。〉は何だっけ?

後藤
眞木さんがキャッチコピーを書いて僕がボディコピーを書くことがわりとあったんですけど、ある仕事で僕の書いたボディが何回もダメ出しされて、いよいよ後がないという段になっても眞木さんのオーケーが出なかった。時計を見ると午後の2時で、眞木さんは「4時に戻るから」と言って事務所を出ていかれたんです。その時振り向きざまに「俺は2時間あれば、年間キャンペーンを組み立てるし、世の中をひっくり返すコピーを書くからさ」って。

柴田
嫌な人だねぇ(笑)。

後藤
嫌ですよ(笑)。置いてきぼりを食らった身としては。

御倉
眞木さんが絶好調の頃なんじゃないの?

後藤
そうですね。

御倉
僕がいた頃は「俺は立ってウンと唸ればコピーが出せる」と言ってた(笑)。

柴田
では次、〈頭ん中、真っ白だよ。〉

忽那
これは僕なんですけど、誤植をして眞木さんに大変なご迷惑をかけたというエピソードです。コピーライター養成講座でも最初に眞木さんは文字校正の大切さを話していたんですけど、そういう話を聞いていながら、とある企業の新聞広告でキャッチフレーズの「ソリューション」という言葉が「ソリューリョン」になっていたんです。よりによってクライアントの社長がその誤植を発見した。眞木さんって動揺なんかまったくしないんですけど、その時は「ジロー、頭の中が真っ白だよ」って。僕はもうどうしていいかわからなくて、「眞木さん、事務所をやめさせてください」って言ったら、「馬鹿野郎、働いて返すのが筋だろう」って怒られました。ほんとにもう思い出すのも辛い話で。

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柴田
はい、では次。〈仲畑さんの『愛とか夢とか』があるからね。〉

忽那
これは僕ですね。眞木さんは誰かのコピーに似ていることについてはものすごく厳しかったですね。僕がコピーライター養成講座で「胸とか膝とかを打つ言葉」というのを書いたら、「仲畑さんが『愛とか、勇気とか、見えないものも乗せている。』というのを書いているから」と言われました。「とか」っていうところが仲畑さんのコピーに似ていると思ったんでしょうね。それくらいのレベルで人のコピーに似ないように気をつけていました。

柴田
はい、次は〈ボディは1行目で、決まる。〉

後藤
僕です。ボディコピーは一行目ができれば99.9%はできたも同然だと眞木さんは言ってましたね。一行目が書けたら後はスラスラ書けるって。ただ、一行目を書くのが大変なんだと。

柴田
眞木さんはキャッチコピーをいっぱい書くとボディが豊かになるという言い方もしていましたね。採用されなかったキャッチをボディコピーに放り込んで、最後の一行に使うとボディが締まると。それはたぶん最初の一行も同じことで、キャッチで使いたかった言葉でボディを始めると恰好がよくなる。それはずいぶん参考にさせてもらいました。

後藤
それと、一行目はとにかく短く書けとも言われましたね。

柴田
この〈ボディコピーは、一行あけて書け。〉というのはその話?

御倉
いえ、違う話です。先ほど言ったみたいに当時は手書きでボディコピーを書いていたんですけど、眞木さんに直されるじゃないですか。その時、詰めて書くと直しにくいので一行空けて書けと言われました。今でも手書きで書けと言われたら、自然と一行空けて書いてしまうと思います。

柴田
続けて、〈この文章に『お』をつけるだけで、うちの名前で出せるコピーになる。〉

後藤
それは僕ですね。眞木さんとの3回目くらいの仕事の時だったと思います。ずっとダメ出しされてたら、「最初に書いたのを持ってこい」と。それが「そばの、そば屋。長寿庵」というコピーなんですけど、長寿庵って日本でいちばん多い屋号なので、近くにあるってことを表現しようと思ったんですね。そしたらそれを眞木さんが「おそばの、そば屋。長寿庵」というふうに直した。「お」をつけることで読んでくれる人にへりくだる。コピーとはホスピタリティなんだから、「そばの、そば屋」はありえないと。とにかくコピーはホスピタリティということをクドイくらいにおっしゃってましたね。で、その時に言われたのが、「『お』をつけるだけで、うちの名前で出せる。これがコピーだ」という言葉です。

柴田
なんだ、ちゃんと教えてもらってるじゃん。はい、では次。〈コピーライターはケンカするときはケンカしなきゃダメだ。〉

忽那
ある時何かの仕事のやりとりで僕が電話口で怒っちゃったんです。あまりにも理不尽な話だったので。とはいえ、僕も眞木準企画室の一社員なので、何かあったら会社に迷惑がかかると思って、眞木さんに謝りに行ったんです。そしたら眞木さんが「いいんだよ」って。「コピーライターはケンカする時にはケンカしなきゃダメだ」と。僕はてっきり叱られると思っていたんですけど。

柴田
眞木さんってケンカしてたかな?

忽那
眞木さんが電話で怒っていることはなかったと思います。

柴田
では次。〈ジローもいつか休みの日にコピー書くのが楽しくしてしょうがなくなるよ。〉

忽那
僕が在籍していた時、金曜日の夕方くらいに眞木さんに声をかけられて宿題を出されるのがよくあるパターンでした。それで週末に考えて、週明けの月曜日に眞木さんに見せるわけですけど、ある時「ジローもいつか休みの日にコピー書くのが楽しくてしょうがなくなるよ」と言われたんです。眞木さん自身がそうだったみたいですね。ウイークデーは忙しいので、週末の静かな事務所でゆっくり書く。そういうリズムでコピーを書いていたみたいです。ところが不思議なことに、僕の場合いつまで経ってもそうならなくて(笑)。そこに歴然たる差を感じます。

柴田
眞木さんって、いつもでかいバッグに山ほど書類を入れていたよね。

御倉
ハンティングワールドのバッグでしたよね。

忽那
ものすごく重いんですよ。

柴田
家財道具が全部入っているんじゃないかと思うくらいでさ。あれを持ってどこで何をしているのか不思議だった。はい、では次。〈コピーには、全人生が出てしまう。〉

御倉
これは僕。いつものように眞木さんにコピーを見せていたんですけど、書くコピーがどれもペラペラに浅かったんでしょうね。コピーには全人生が出てしまうんだと言われました。これが今の御倉の限界なんだとも言われて。なんだか怒り方までコピーみたいだなと思って、返す言葉もありませんでしたね。

柴田
こう言われちゃうとがっかりするね。

御倉
ズタズタになりましたよ。

柴田
では次、〈柴田くん〉。これは僕ですね。僕は眞木さんに呼び捨てにされたことがないんですよ。最初から「柴田くん」。でも「柴田くんはどれがいいの?」って言われるより、「柴田、これはないだろ」って言われるほうが叱られてもスッキリするんですよ。御倉は何て呼ばれてた?

御倉
呼び捨てですよ。「御倉」って。

柴田
そうだよな。

後藤
僕も「後藤」ですね。

忽那
僕は「ジロー」です。

柴田
じゃ、「くん」は俺だけか。

御倉
敬語の一種なんじゃないですか。

柴田
眞木さんが俺を尊敬していた?そんなわけないだろ(笑)。とにかく最後までずっと「柴田くん」でしたね。

御倉
でも柴田さんって絶対眞木さんより年上に見られていたでしょう?

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柴田
飲み屋なんかに行くと嫌だよ。「どっちが若いと思う」って聞くと、絶対眞木さんって答える。

御倉
それもあって「柴田くん」だったんじゃないんですか(笑)。

柴田
(笑)。では次にいきましょう。〈柴田くんなら、見てくれるよ。〉これは何?

後藤
これはため息の発展形ですね。ため息をついた後に見るのさえやめちゃって「柴田くんなら見てくれるよ」って。で、「御倉に、柴田君の電話番号聞いて」って。

柴田
嘘でしょ。

後藤
ほんとうですよ。それを真に受けて柴田さんに見せに行ったんですよ。「なんで俺が見なきゃいけないんだ」って言ってましたけど(笑)。

柴田
眞木さんは僕によくムチャぶりをしたんですよ。では次。〈あーゆーCDになっちゃいけないよ〉

御倉
ある代理店のCDが眞木さんに仕事を頼んだんですけど、いわゆる丸投げなんですよ。でもクライアントの前ではいい顔をするみたいな。その時に眞木さんが「あんなCDになっちゃいけないよ」って。僕は眞木さんからコピーについての技術的なことだけじゃなく、クライアントに対する態度とか代理店やスタッフとの付き合い方を学びましたね。コピーライターとしてというより、広告のつくり手としてどう生きていくかということをすごく教えてもらった気がします。今は電通でCDをしているので、「あーゆーCDになっちゃいけないよ」と言われないようにと思っています。

柴田
耳の痛い人がいるだろうね。では次。〈コピーつくってないのか?ダサいな。〉

御倉
これは眞木さんから言われた最後の言葉ですね。眞木さんが亡くなるちょっと前に言われたんですよ。「コピーつくってないのか?」って。「今はディレクションだけやったり、スタッフィングを考えたり、形だけCDの仕事もけっこうあったりするんです」って言ったら「ダサいな」って。「それじゃダメだ」と。それからはいくつかのクライアントでは自分で書くようにしました。自分でつくらないのはダサい、という眞木さんからの最後のメッセージとして受け取っています。

柴田
続いて、〈もう緊張しなくていいんだよ。〉

忽那
これは僕ですね。眞木準企画室を卒業した年の暮れにご挨拶に伺ったんです。卒業したとはいえ、かしこまっていたら「もう緊張しなくていいんだよ」とおっしゃって頂いて。なんだか涙が出そうになりましたね。眞木さんってものすごく気遣いをされる人でしたよね。人との約束はものすごく律儀に守ってましたし。さっきの読者に負担をかけないという話もそうですけど、コピーを書くというのはどれだけ気を遣えるか、ということなんだなと眞木さんを見て思うようになりましたね。

柴田
はい、次。〈御倉は右腕なんだ。御倉の全身が俺の右腕なんだ。〉

御倉
これは眞木準企画室をやめる時に言われたんですけど、眞木さんにしてみると突然言われたような感じだったのかなぁ。

柴田
突然やめると言ったの?

御倉
けっこう突然でしたね。

柴田
相談なしに?

御倉
相談なしにですね。

柴田
あらら。

後藤
僕には言ってましたよね。「明日眞木さんに言う」って言いながら全然言わないんですよ。

御倉
なかなか言えないんだよ。

後藤
2ヶ月ぐらい引っ張ってましたよね。

忽那
言えないですよね。その気持ちはすごくわかります。

御倉
あの時は鬱みたいになったよ。

柴田
やめると言っても他に行く会社はないだろ。

御倉
だから他の会社に移るというのはありえないと思ったんです。それはなんかずるい気がして。で、「独立します」って言ったら「絶対に無理だ」と言われました。「御倉がひとりでやるのは絶対に無理だ」と。「おまえは右腕なんだ」と。

柴田
眞木さんから右腕だと言われたんだ。

御倉
いや、だから、そういう意味じゃないと思うんです。おまえは大した奴じゃないんだぞ、所詮右腕みたいな存在なんだってことでしょう。

後藤
それは違うんじゃないですか。

柴田
頼りにしているって話じゃないの。

御倉
そうですかね。引き止めたんですかね。

柴田
今気づいたの? 行くなという意味だと思うぞ。

御倉
とにかく眞木さんに怒られ気味にきつく言われたんです。

柴田
じゃ次に行きましょう。〈(最終出社日)そういうことだ。〉

後藤
先ほどもちょっと話したように、御倉さんがいなくなった後、眞木さんと僕のふたりだけになっちゃったんですね。ほんとにプレッシャーがきつくて、やめたいとは思わないんですけど、毎日逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。そんな中、恵まれていたと思うのは、ふたりしかいないので、どんな仕事も眞木さんと一緒に考えることになるわけです。最初の頃はとにかくたくさん考えようと思って200本を目安に書いていたんですけど、2年ほど経った時に「見るのがめんどうだから50本にして」と。そのうちだんだん「30本にして」「20本にして」となって、最後は5本しか見せられないことになった。そしたら最後の仕事で眞木さんにコピーを見せていたら、「後藤、うちに何年いるんだっけ?」って聞かれたんです。「8年です」って答えたら、眞木さんが「そういうことだ」と。僕と眞木さんの書いたコピーがまったく同じだったんです。僕はもう涙が止まらなくなってしまって。「そういうことだ」という一言にいろんなことが凝縮されているんですね。

柴田
いい話だね。

後藤
やっといい話ができました。

柴田
時間もなくなってきたのでどんどんいきましょう。〈Hなコピーはやめたほうがいい。御倉が書くと、ほんとにいやらしい。〉

御倉
ほんとは僕も「恋が着せ、愛が脱がせる。」みたいなコピーを書いてみたいわけです。真似してみるんだけど、技術も経験も足りないのでやっぱりそういうコピーにならない。その時眞木さんから言われたんです。だからそっちも禁じ手になっちゃった。

柴田
シャレもダメ、そっちもダメ。つらいね。

御倉
ダメ出しされた後にAGFの仕事があったんです。眞木さんが「女は、ナヤンデルタール。」っていうコピーを書いた「キャフェリゾート」という商品のカタログ。そこで男と女の話をつくったら、眞木さんに褒められたんです。「おまえはやっぱり真面目なコピーがいいな」って。それから自分の生きる道はそっちかもしれないなと思って、精進しようと思いました。

柴田
はい、ではこれが最後ですね。〈おんくら。ぼんくら。ぼんくれ。〉

御倉
ある時眞木さんが僕のことをこう言って、それ以来僕のキャッチフレーズとして、年賀状とかいろいろなところで使わせていただいているんです。ボンクラだけど、盆と暮の2回くらいはいいコピーを書くという意味です。ほんとうにありがたい言葉で。

柴田
では、止めどなく眞木準語録を紹介してまいりましたが、最後にひとりずつ天国の眞木さんに向けて一言お願いします。

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忽那
眞木さんのコピーの凄いところは、簡単に口の端に上ったり、いつまでも人の記憶に残るところだと思うんです。前に福島に行った時、公衆トイレに「うつくしまふくしま」って書いてあったんです。福島の人は「うつくしまふくしま」ってコピーライターが考えた言葉じゃなくて、何か昔からある言葉かのように思っているんですね。あるいは、この前北海道の旅行ガイドを手に取って見てみたら、表紙に「でっかいどお。北海道」って書いてあった。おそらく編集者はその言葉が元々は広告のコピーだったことは知らないと思います。そのくらい世の中に浸透している。それから、「恋を何年、休んでますか。」というコピーも、それが世に出て何年も経った後にテレビ局のプロデューサーからドラマのタイトルに使いたいという打診が来た。そういう世の中への定着力はこれからも見習っていきたいと思います。なかなか真似できるものじゃないと思うんですけど。

後藤
自分のプロフィールに眞木準企画室と書いてあるのは今でもすごく大きいんです。今もコピーの仕事をする時は、眞木さんだったらどう書くだろうと思っていますし、今日この会場にいるみなさんも多かれ少なかれ眞木さんに思い入れのある人たちだと思います。そういう意味ではみなさんの中で眞木さんはずっと生き続けると思うし、コピーの仕事をしている限りは、僕はずっと眞木さんと一緒にいると思っています。

御倉
眞木さんはコピーや言葉に対してものすごくエネルギーをかける人でしたね。広告に対する情熱、時間と愛情のかけ方がすごくて、そういうものはこの仕事をする上でほんとうに大事だと思います。それからやっぱり思うのは、今の僕があるのは眞木さんがいたからということ。眞木さんの言っていたこと、眞木準さんという存在をこの先もずっと忘れたくないと思います。

柴田
眞木準さんは間違いなくコピーライターという職業を世の中に知らしめた功労者のひとりとだ思います。眞木準さんに出会わなかったら、僕は今頃どうなっていたんだろうと考えることがあります。最初にディレクターとケンカしてなかったら眞木さんと出会ってなかった。そう思うと、あの時ケンカしてほんとうによかったなと思います(笑)。眞木さんに出会えて幸せな広告人生が送れました。もちろん実力は眞木さんに遠く及びませんが、そのことにあらためて感謝して、ありがとうと言いたいと思います。

会場
(拍手)