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ここに記載されていない故人の方についても起稿したい方や資料を公開したい方はTCC事務局までご連絡ください。
天国に行かれた元TCC会員の方のアーカイブスです。
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新井 静一郎 Arai Seiichirou
多くのコピーライターを育てることにより電通クリエイティブの基礎をつくった だけでなく、広告制作者に関する著作を次々に発表。中でも「コピーライター」 は60年にわたるコピーの系譜を記録して高く評価された。1907年、東京生まれ。 1932年、アドライターとして森永製菓入社。1941年、退社。 1947年、電通入 社。48日間にわたるアメリカ広告事情視察旅行のレポートが、日本の関係者に大きな影響を与えた。宣伝技術局長、常務取締役を経て、 1969年、退社。1989 年、東京ADCより殿堂入りの表彰を受ける。1990年、死去。
コラム
新井静一郎先生のこと  多比羅 孝  取りあげる題材が適切で公平なこと。…
上野 壮夫 Ueno Sofu
1905年、茨城県生まれ。早稲田の露文科に学び、詩・評論などを発表。やがてプロレタリア文学活動に参加、治安維持法違反の容疑で逮捕、拘留される。 1945年の終戦後は、花王石鹸で広告のディレクター、コピーライターとして活躍。久保田宣伝研究所、武蔵野美術大学、日本デザイナー学院などで広告制作について講義する一方、日本広告技術協会、文部省国語審議会などの役職を引き受ける。1962年の東京コピーライターズクラブ創立以来、17年間にわたって会長を務める。その間、1966年に広告制作会社U.P.R(上野プランニングルーム)を設立。1979年、死去。
コラム
上野壮夫氏の眼  前田 巍  東京コピーライターズクラブ初代会長…
梶 祐輔 Kaji Yuusuke
1931年、大阪生まれ。1955年、電通に入る。1959年、同社を退社し、フリーランスのコピーライターとして朝日麦酒などの仕事を担当。1960年、日本デザインセンターの創立に参加、アサヒビール、野村証券、トヨタ自動車など各社の広告づくりを手がける。そのほか、国鉄民営化にともなうJRマーク、新しいトヨタマークなど、CIのディレクションにおいても業績を残した。
朝日広告賞、毎日商業デザイン賞、日経広告賞、広告電通賞などを多数受賞し、2003年にTCCホール・オブ・フェーム入り。制作者に対しても、クライアントに対しても、つねに厳しい目で「効く広告とは何か」を問い続ける「広告界のご意見番的存在」であった。
2009年10月4日、肺がんにより逝去。享年78歳。
コラム
「デザイン」センターの「戦闘機」だった  鈴木康之 ■7年先輩なのにイーブンだった  梶さ…
近藤 朔 Kondo Hajime
1923年、鳥取生まれ。1947年、慶應義塾大学法学部卒。同年、電通入社。その洋風で洒脱なキャラクターをコピーに結実し、キッコーマン、サッポロビール、モービル石油など、数々の広告を手がける。1958年、TCC前身のコピー十日会創立に参加。1962年TCC創立。1965年電通コピー局長就任。1979年から1984年まで、東京コピーライターズクラブ会長を務める。1985年、電通を退社。1990年、死去。
コラム
1961年の近藤朔さん  秋山 晶  1961年、僕は25歳で講談社の宣伝部に…
土屋 耕一 Tsuchiya Kouichi
1930年、東京生まれ。生家は写真館。少年時代を麻布で過ごす。1956年、資生堂宣伝部に入り、コピーライターとして仕事を始める。1960年、ライトパブリシティへ移り、同社企画部部長、副社長を経て1976年フリーランスとなり「土屋耕一の仕事場」を開く。デザイン主導の広告制作から、コピーライティングが主役へと時代が移り変わるなか、つねに先導的な役割を果たし、後の世代へきわめて大きな影響を与え続けた。
代表作に、「こんにちは土曜日くん。」(伊勢丹)、「なぜ年齢を聞くの。」(明治製菓)、「君のひとみは10000ボルト」(資生堂)、キッコーマン、東レの一連の仕事など。話し言葉のもつ特性を生かした軽妙洒脱なトーンと、大きなスタンスで世の中を動かす生活提案、そのいずれによっても土屋耕一にしか書けないオンリーワンの業績を残した歴史的なコピーライターである。1991年から1997年まで、TCC会長。1991年、日本宣伝賞・山名賞を受賞。2002年、東京ADCのホール・オブ・フェイム、2003年、TCCのホール・オブ・フェイムに選出される。主な著作に、新書「コピーライターの発想」、作品集「土屋耕一前仕事」、回文集「軽い機敏な子猫何匹いるか」など。2009年、死去。
コラム
「思い出の土屋耕一さん」  犬山達四郎  先年亡くなった土屋耕一さんが遺して…
土屋さんのこと。俳句のこと。  多比羅 孝  俳句の会『こふみ会』では3月27日を『…
ライトパブリシティ時代  梶原 正  出会いが、出会いを生み、流れになっ…
逆さ眼力から生まれた、柚子湯回文  岩永 嘉弘  まるいお顔の上下真ん中にある、まん…
西尾 忠久 Nishio Tadahisa
1930年、鳥取県生まれ。関西大学経済学部卒業。
三洋電機宣伝部を経て日本デザインセンターでコピーチーフとしてトヨタ自動車、平凡社『太陽』、野村証券などを担当。
『太陽』の創刊広告でその年のADC賞、朝日広告賞、毎日商業デザイン賞を受賞。アド・エンジニアーズ・オブ・トーキョーを設立し、富士銀行、河合楽器製作所、小学館など担当。
その間、米国のすぐれた広告を紹介するとともに、多摩美術大学で「広告コンセプト」を38年間講じた。
また、各地の文化センターで『鬼平犯科帳』を素材にした日本人の精神風土論を講じ、晩年はブログ『創造と環境』において、60~70年代のアメリカにおける広告作品やクリエイターのインタビューなどを精力的に公開していた。2012年、死去。
【創造と環境URL】http://d.hatena.ne.jp/chuukyuu/
コラム
西尾さんが伝えたかったこと   鈴木康之  コピー年鑑2012の追悼文に書いたとお…
向 秀男 Mukai Hideo
1923年、東京生まれ。日本麦酒を経て、1957年、ライトパブリシテイ入社。1970年、同社取締役副社長になる。この間、ブリヂストン、東レ、キャノン、シチズン、日本楽器、東陶、日産プリンス、ブラウンなど、話題となった広告を数多く手がけ、数多くの賞を受賞。日本を代表するアートディレクターの一人として理論と実践の両面で活躍する一方、コピーも担当した。また、東京アートディレクターズクラブ委員、美術大学講師を務める。1976年、ライトパブリシテイを退社、フリーランスとなる。1992年、東京アートディレクターズクラブのホール・オブ・フェイムに選ばれる。同年、死去。
コラム
「広告制作の巨人、向 秀男さん」  朝倉 勇  向 秀男さんは、コピーライター朝倉 …
渡辺 蔚 Watanabe Shigeru
生年 1937年1月25日
没年 2009年3月30日

仕事歴
1960年4月 博報堂入社
1963年    第1回東京コピーライターズ倶楽部賞 受賞
1964年12月 (株)レマンの設立に参加
1976年    レマン代表取締役
1987年    50歳で社長を退き 顧問に
1992年    代表取締役を退任  相談役に
1997年10月 レマン退社

ボランティア活動歴
1982年4月 日本点字図書館にて 朗読開始(1982年4月~2007年3月)
      158タイトル(録音時間1,264時間23分)
1992年 日本点字図書館評議員となる
1993年 長年の朗読活動に対して、鉄道弘済会より地区表彰される
1997年 東京都の朗読奉仕員指導者となる
1987年3月 日本盲人マラソン協会に入会
1988年4月 日本盲人マラソン協会理事
      第1回・2会世界盲人マラソン協会などの企画実施に協力
1998年  常務理事
コラム
渡辺 蔚(わたなべ しげる)さんのこと  吉沢 佳子  私が新卒でマッキャンエリクソン博報…
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