ニュージーランド滞在記 ~Masa学生になる~
ニュージーランドに着いてほどなく住む家を決めると、
すぐに学校がスタートした。
移住のためのプロセスをいろいろ試行錯誤した結果、
いちばん手っ取り早いのが、まずは学生ビザで入ることだったのだ。
専門学校の園芸コース。私が選択したのは、
およそ広告業界とは無縁の世界だった。
せっかく海外で人生リセットするのだから
思い切って違う業種にチャレンジしてみようという
気持ちも強く作用した。そして学校を卒業したあとは、
ニュージーランドのどこかの農場でまったりと仕事をしながら、
永住権もそのうち降りるはずだから家でも買って
家族3人でゆるゆると暮らすんだ…。
気の抜けたジンジャーエールのような甘ったるく
シュワリともしない精神で日々、学校に通った。
通学し始めて、すぐに異変に気付く。
ここは・・・インド人学校か?
外国人向けの専門学校ではあるのは承知していたが、
生徒の過半数がインドからの留学生であったのは驚きを隠せなかった。
話を聞くとインドではまともな仕事につくのは至難の業だそうだ。
インドの国有鉄道が4年ぶりに9万人の求人を出したところ、
2300万人以上の応募があったという。
貨物列車にびっしりと張り付く乗客のごとく、少ない椅子を皆で奪い合う。
そんな逆境を跳ね返すべく、親兄弟、親戚、友人から金をかき集め、
遠く離れたニュージーランドに活路を見出してやってくる
彼らのバイタリティは、我々日本人も見習うべきところではある。
彼らは非常にフレンドリーで、すぐに話しかけてくる。
すぐにモノを借りに来る。そして、すぐなくす。すぐに音楽をかけ踊り、
Hey Masaいっしょに踊ろうと誘ってくる。
テスト中に「Masa答えを見せろ」と囁いてくる。
そして、毎日カレーを食べている。
同じクラスの陽気なインド人、ハルキーラ・シンが
「Masaも食べろ」と弁当として持ってきていた
どす黒いチャパティと冷たくなったカレーをすすめてきた。
うまい。仲良くなった陽気なインド人、ジェスカラン・シンが、
「Masaも食べろ」と弁当用に持ってきていた冷たいカレーと
ライスをすすめてきた。うまい。
インド人のつくるカレーは、みな美味しかった。
そして、みな名字がシンだった。
インドの学生たちは英語は話せるものの、
インド人同士ではヒンディー語を話すので、いったい何が楽しいのか、
何にムカついているのか、まったく見当もつかない。
興が乗ってくると勢い余って私にもヒンディー語でまくしたて、
「Sorry Brother!」とニカッと笑って去ってゆく。
彼らの数の力と個々人の圧倒的なパッションとで、
学校全体がインディアン文化に占領されていた。
インド人のほかには、中国人、韓国人、カンボジア人、
マレーシア人、フィリピン人、そして日本人といった
アジアを中心としたエリアから生徒は構成されていた。
一度、中国人の生徒に「なぜニュージーに来たの?」と尋ねたら
「中国の政府が信用ならないからさ」「やつらはサタンだ」と毒づいた。
政府が悪い、仕事がない、治安が悪い、未来が不安。
国が違えば問題も様々である。
日本人にありがちな「一度冒険してみたくて」
「なんか日本に馴染めなくて」のようなフワッとした理由ではなく、
リアルでシビアな現実からの脱出を試みているのである。
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