父がボディビルダー
普通の家にプロテインはない。そのことを鈴木少年は知らなかった。
今年で73歳になる父は昭和20年の生まれで、僕の故郷である小樽に初めてウェイトトレーニングができるジムをつくった創設メンバーのひとりで、北海道のその界隈ではかなりの古株であるらしい。僕が子供の頃にはよく「会長」とか「理事長」とか呼ばれていた。ちなみに近頃よく噂されるような便宜が我が家に対して図られたことは一切なかった。残念です。
家にはトロフィーがいくつも並んでいた。若い頃は北海道でまあまあいいところまでいったらしい。実家の壁にはアーノルド・シュワルツェネッガーが俳優になる前のボディビルダー時代の写真、の模写(by 父)が飾られている。同世代のヒーローなのである。
父は日々ジムに通うのはもちろん、ジムに行けない日は家の中でダンベルを挙げていたし、腕立て伏せやスクワットや腹筋もよくしていたし、休みの昼間に晴れたとみれば短パン一丁で庭に寝そべり肌を灼いていた。
そういう家で育った僕は父にものすごく感化された、というわけでもなく、かといって反発したり抵抗を感じたりといったこともなく、ごくごく自然に、特に体を鍛えることに興味を抱かず育ってしまった。
本人にとっては趣味以上のものだったボディビルを息子に強制してこなかった父は偉かったと思う。
父がボディビルのコンテストに最後に出場したのは僕が中学生のときだった。父は僕が物心つく頃には既にそのような競技会に出場することがなくなっていたのだが、50歳になる記念にいっちょ出てやろう、みたいなノリだったと思う。
当然トレーニングはいつも以上にハードになるわけだが、加えて「減量」がある。ボディビルダーは年中キレキレなわけではない。常に鍛えてはいるが、コンテスト出場に向けて筋肉を覆う脂肪を取り除き体を絞り込んでいくのだ。
およそ半年間、父は頑張った。仕事をしながら、ハードにトレーニングしながら、大好きな飲酒を断って高タンパク低脂質な食事に徹した。例年以上にめっちゃ灼いた。コンテストのある夏に向けて父の体は目に見えて変わっていき、内心、父ちゃんすげえな、と思っていた。
でも、それでも、最後まで、父は思うように腹筋を割ることができなかった。浮き出てはいたが、割れなかった。ボディビルは腹筋だけを審査する競技ではないが、父としてはやはりそこは目指したかったところらしく、無念そうだった。息子としても内心、ちょっと見てみたかった。腹筋までキレキレの父。
あれから20年以上経つ。父は今もトレーニングを続けている。
父の筋肉はかつてより細くなり、筋力は弱くなった。当たり前のことである。もちろんトレーニングをしないよりは維持されているのだ。しかし、同じことを続けているにもかかわらず挙げられるウェイトの数字が目に見えて小さくなること。それは体を鍛えていない一般的な老人よりも如実に、残酷に、じわじわと、自らの老化を突きつけられていることなのではないか。
父の腹筋がキレることはもうないだろう。今、父のモチベーションを支えているのはなんなんだろう。恐れなのか、惰性なのか、うまいハイボールを飲むためなのか。父のボディビル歴は50年を超えた。なにかを50年続けていることの手触りを想像するのは、僕にはまだ難しい。
27歳でコピーライターになった僕が77歳でコピーを書いていればようやく50年である。そのとき僕のコピー力は伸び続けているのか、衰えているのか。わからないけど、とりあえずそのときも書いていたいなあと、今のところは思う。
あと、父がボディビル始めたの三島由紀夫より早かったら笑うな〜と思って調べてみたけどさすがにそんなことなかった(三島のほうが10年ぐらい早い)。残念です。
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