富士山デビュー
私の会社では、入社した年の夏、
同期みんなで富士登山をする恒例行事がある。
無理のない行程が組まれ、サポートしてくれる先輩方もおり、
天候さえ問題なければ
ほとんどの人が気持ちよく登頂に成功する。
その日のことを書こうと思う。
同期みんなと元気に5合目を出発した私。
最初の100歩くらいで嫌な予感がしはじめた。
あれ、ずっと階段ばっかじゃない?
初めての挑戦で、富士登山を軽いハイキングくらいだと思い込んでいた私。
(そんな過去の私をパンチしてやりたいです。)
高低差のきつい階段が、
ずっと先の、そのまた先の方まで続いているのが見え、
早くも心が折れた。
それでもなんとか1歩1歩、足を進める。
あまりのノロさに後ろからどんどん追い抜かれ、
6合目の山小屋に着く頃にはドベになっていた。
徐々に太陽が傾きはじめ、
その頃にはもう足腰がヘロヘロになっていて、
ゆっくりしか進めなかった。
あたりは夕方から夜へとだんだん暗くなる。
真っ暗になって5分くらいした頃だろうか、
上から丸い光が降りてきた。
だんだん近づいてきた光は、どんどん大きくなってくる。
ん?なんだ?…あ、人だ!
ヘルメットにライトがついているのだ。
なんでこんな時間に降りて来る人がいるんだろうと不思議に思っていると、
その人が私の目の前で止まり、
トランシーバー片手にこう言った。
「はい、1名確保。」
そう、それは私を探しに来た救助隊だった。
まるで脱走したサルが見つかったような雰囲気で、
私の富士登山は幕を閉じた。
同期のほぼ全員が山頂まで行ったが、私はそこで下山することになった。
「登れませんでした。すみません。」
登山の翌週出社して、
ちょっと恥かしい気持ちで報告すると、
会社の人たちは「おつかれー!よかったじゃん!」と言ってくれた。
私は足腰が悪い人が使う医薬品の広告を担当させてもらっていたからだ。
登れなかったことをコピーに活かせる。
そういう意味で良かったじゃんと言ってくれたのだ。
私のコピーライターとしてのデビュー作は、
その医薬品のコピー。しかもボディーコピーになった。
自分のダメなところも、
言葉にして世の中に出させてくれる。
ダメなところが人より多い私は、
コピーライターのお仕事に着けて良かった。(かもと思いたい。がんばります。)
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1週間ありがとうございました。
次は、会社の先輩である河野さんです。
河野さんは、「悪意ある言葉が、人の心を傷つけている。」という
ACジャパンの作品で今年、新人賞をとられました。
いつもすれ違いざまにボソっと私をイジってくれたり、
酔っぱらうと本当の河野さんがコンニチハしたり、
でも本当につくる企画がとても面白くて素敵な先輩です。
それでは河野さんどうぞよろしくお願いします。