追憶みたいな
記憶というのは不思議なもので
アタマの中に引き出しがあるとすれば
開けて上の方に入っているのは
何故か「どうでもいい事」や
「忘れても構わない事」だったりします。
(しませんか?)
僕が小学五年生の頃
ある日「自転車を買ってやる」と
唐突に言い出した父。
その背中を追って、夕暮れの田舎道を歩き
二人は自転車屋へと向かいます。
店先に並べられた十数台の中から
僕が、スポーツサイクル風ジュニア用自転車
(黒いボディに当時流行りの五段変速機がついていた)
を恐る恐る指差すと
父は、なんと「ツケ」でその自転車を買い求め
店主との交渉を経てその目的を果たしたのです。
「お金持っとらんでも買えるとぞ!」
その自慢気な顔を向けられて
そこまでして欲しくはないよ、とは言えません。
小声でアリガトウと返し、複雑な心持ちで
自転車を押しながら帰路につきました。
以上
〜社会における信用というものを息子に示したくなった父〜
シーン65/テイク1
もっと素敵な思い出があった筈なのに
何故かこのシーンが引き出しの上の方に入っていて
手を突っ込むと、つい取り出してしまうのです。
下の引き出しも(そっちの方が良い話に違いない)
今度ゆっくり探してみよう。
もうすぐ命日だな。
いつ墓参りしようかな。
今朝、ぼんやり考えていたら
こんな内容になってしまいました。
この話にオチはありません。