父の背中5
ボクの万引きが父にバレた。
小学校5年生の夏のことだった。
その日、ちょうどこれから夕飯というタイミングで
鈴木家にピンポンと呼び鈴の音が響いた。
いつもと違う不吉な鳴り方をした。
虫の知らせというやつだろうか。
玄関には幼馴染のツトムくんの母親が、落ち着きのない様子で立っていた。
エプロン姿の母が応対する。
そこから母は、いっこうに戻ってこなくなった。
「それで……うん……うん…。うん……うん……」
「うちのバカ息子を問い詰めたら…」
「うん……うん……うん……」
玄関をそっと覗くと、母ふたりは顔を真っ青にして話し込んでいる。
調理中の回鍋肉のことなど、もはや頭にない様子だ。
ただならぬ事態だということは、一目瞭然だった。
お店 / 謝罪 / 警察 / 商品、などの言葉が断片的に漏れ聞こえてくる。
バレた……
平常心を保つようカラダに言い聞かせたが
言うことをきかずに汗が吹き出した。
続いて膝が震えだした。
もう食欲など吹き飛んでいた。
仲の良い幼馴染の3人組で、近所のスーパーや駄菓子屋で
万引きを繰り返していた。
高額商品を盗んだものが頂点に立てるという、
謎のヒエラルキーがあった。
5円チョコでは格好がつかず、ビックリマンチョコをターゲットにした。
レジの前のほうがむしろ監視の目が緩いとか、
他のものを買ったテープを貼れば店員を欺けるとか、
そんな間違った手ほどきも受けていた。
一周まわってボクは、シンプルにただ盗るだけという手法に落ち着いた。
極めて短絡的な犯行といってよかった。
ツトムくんの母の知り合いが、その一部始終を目撃していたのだ。
自分たちの迂闊さを呪った。
「深澤商店でも、ヒノヤでも、和田ストアでもやってたって…」
「うん…うん…うん…」
母の声はどんどんボリュームを増していく。
ふたりの顔は、真っ青から真っ赤に変わっていた。
ツトムくんの母親が帰っていった後、
母はひとりでは手に負えないとふんだのか、
「お父さんに怒ってもらうから!アンタなんか帰ってこなくていいから!」
と怒鳴り散らし、ボクは家の外に放り出された。
父はその日は出張で、翌日の夜に帰ってくるという。
24時間後。
…はたして自分はどうなるのか。
殴られるか、張り倒されるか、それとも警察に突き出されるか。
下手したら半殺しにされるだろう。
家の横を流れる小川に、ボロ雑巾のような自分が浮いているのを想像して鳥肌がたった。
当時「24」がもし公開されていたなら
ジャックバウアーと境遇を重ねることも出来ただろうが、
「中に入れてよ!」と、半べそをかいて玄関を叩くスズキバウアーは、
彼とは似ても似つかなかった。
翌日、学校に登校すると
ふたりの幼馴染は、顔に派手な青タンをこしらえていた。
「親父にぶん殴られた」「オレもぶっ飛ばされた」
口々に昨日の修羅場を語り出して、ボクは震え上がった。
…次はボクの番だ。
父の帰ってくる夜が近づいてくる。
ボクは就寝時間を1時間早めて、ひとりサマータイムのような
タイムスケジュールをとった。
とにかく早く寝て、この現実から逃避したい。
無理やり枕に顔を埋める。
布団に潜って息を潜める。
寝ろ!寝ろ!寝ろ!寝ろ!と何度も言い聞かせる。
全く眠れる気配がない。
「トモヤ、ちょっとこっち来いや」
低い声が響いたのは、その直後だった。
父が帰ってきていた。
このまま寝たふりをすることも考えたが、即座に却下した。
心証を悪くしたくなかった。
ボクは打算的な子供だった。
「まあ、ここに座れや」
まるで極道の親分のような導入だった。
アメとムチの手法だろうか。
父の前にゆっくりと正座して、ボクは歯を食いしばる。
歯を折られたくなかった。
次はきっとムチだ。
だから次は、顔面に拳が飛んで来るはずだった。
でもボクの顔面に飛んできたのは、諭すような声だった。
「面白かったか、万引きして」
「え…」
「面白かったのか、万引きして」
「いや…」
「面白くないなら、するなよ」
「はい…」
父が一拍おく。また諭すような言葉が飛んで来る。
「なんで俺が怒らないか、わかるか?」
「いや…」
「俺も昔、親父の財布から金を盗んだことがあるからな」
「え…」
「だからこれで、おあいこってことだ」
「…」
「俺はそこから、一度も盗みも悪さもしてない。親父と約束したからよ」
「うん…」
「だからオマエも、俺と約束をしろよ」
「もう盗みません」
そこから、どういう話をしたのか、もうよく覚えていない。
覚えているのは、
父が使った『おあいこ』という言葉に救われた、という感覚だった。
『おあいこ』といって、ボクと同じ目線に立ってくれたから、
同じ立場になってくれたから、
ボクはまだ、あの日の父との約束を破っていないのだろう。
そしてボクにも息子ができた。もう小学校に上がった。
ある日、妻が仏頂面でため息をついていた。
半ばあきれているのがわかった。
「…パパも叱ってやってよ。
友達の家でふざけて、ガラスの置物を割っちゃったから」
視線を移すと息子がいた。
布団の中で震えていたあの夜の自分にそっくりの顔で、首をすくめていた。
懐かしいなあ、と思う。
ボクの頭は25年前のあの夜へと飛んだ。
父の声が聞こえてくる。
諭すように『おあいこだな』と話してくれた父の声だ。
ボクは息子と同じ目線に立って、おあいこになってあげようと、
「パパも昔、悪いことしてさ」と語り出す。
そして「だから約束だぞ」と収束させた。
ちょっとは父親らしく、説教できただろうか。
ボクの背中はたぶん、父が作ってくれたものだ。
そして子供たちは、ボクのこの背中を見て大きくなるのだ。
このリレーコラムのように
背中というのも、きっとバトンのようなものなのだろうな、と思う。
父のすい臓がんの数値を知らせる母からのラインが、逐一届く。
−今週は良好です
−今週は少し苦しんでいました
−今週は良好です
−今週は少し苦しんでいました
すい臓がんは完治が難しいがんで、闘病生活は険しい。
父の背中は、どんどん小さくなっていくかもしれない。
でも父に、ひとつ安心してほしいことがある。
バトンはもう、受け取っている。
父の代わりに、ボクがこの背中を大きくすればいいのだ。
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一週間、どうもありがとうございました。
次のリレーコラムは、
大学時代から、一緒にものづくりをしてきた仲間、
電通の阿部広太郎くんにバトンを託します。
行動力と言葉力を武器に、いろいろと多方面で活躍されています。
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来週はきっと、本では語られていないことを、
書いてくれるだろうと思います。
阿部くん、それではよろしくお願いします。