「古い」は死んだ。
先週、金曜ロードショーで「魔女の宅急便」を観た。
1989年の7月29日公開。
ちょうど僕が生まれる三週間くらい前に公開された映画だ。
たぶん、何度か観たことあるけど、
セリフや展開をハッキリと覚えてるわけじゃない。
そんな状態で見た30年前の映画。
もう、冒頭から泣けて泣けて仕方がなかった。(最近涙腺がバグってる!)
たぶん、さすがの宮崎駿も鈴木Pも、
その年に生まれた赤ちゃんが30年後、
スマートフォンとかいう小さいパソコンを片手に、
同じように世界中の人たちがインターネットとかいう電子空間?に
つらつらと書き込んでいく各シーンの裏話や設定の情報を追いながら
観てへーそうなんだと感心しながら泣いてるとは、想像すらつかないだろう。
「古い」とか「新しい」っていうボーダーは、
実は、もうあんまり機能してないんじゃないかと思うことがある。
音楽も映画も、あらゆるコンテンツはいま、
平等に同じフォーマットでアクセスできるし、楽しめる。
そのときの時代背景や、画質、テクノロジーの違いはあっても、
30年前の、キキの勇気は、オソノさんの優しさは、ウルスラの心の美しさは、
古くも新しくもなく、今も、いつでも、人間が感じとりたいものだ。
名作は色褪せない、なんてよく言うけれど、
人間の人間くさい部分ってきっと、これからもそこまで変わらないんだと思う。
好きな子に告白するのに、ドキドキしない奴なんていない。
表情をうかがうか、既読の二文字に一喜一憂するかのちがいは、
実はそんなにたいした違いじゃない。
そう思うと、過去の作品から僕らが学べることなんて、きっと無限にある。
これほどまでに、あらゆる時代のコンテンツをフラットに楽しめる環境は、
いまだかつてなかっただろうと思うと、ぼくたちはなんて恵まれてるんだろう。
いま、世界中の人が、いままでにないくらい、家にいる。
せっかくなのでポジティブに捉えませんか。
これは、家という自分の拠点を見直すきっかけでもあるし、
同時に、こういう古いとか新しいを越えていろんなものにアクセスできるチャンスでもある。
思いきって、自分の生まれた歳に作られた映画や音楽にチャレンジしてみるのはどうでしょう?
きっと、何か発見がある気がする。
ちなみに、30年前の1989年のコピー年鑑を開くと、
「結末までに5杯半。映像&ウイスキー。」というコピーがあった。
サントリーの角瓶のコピー。
5杯半も飲んだら目の焦点が合わなくなりそうだけど、
この期間にぜひ、家の中でできる、普段しないことを。