人はなぜ、マウンティングをしたがるのか?
こんにちは、かんちゃんこと神戸海知代です。
ただいま、ライフパーパスコーチングのアセスメントに向けて準備しています。
以前のリレーコラム「星は語る」のなかでも書かせていただきましたが
生まれた瞬間の惑星の配置があらわしている
意味を探ることで、その人の「人生の目的」を読み解いていきます。
2018年、成人発達理論を学ぶあるプログラムに参加しているときに
ライフパーパスコーチング(当時はライフパーパスリーディングの名称でした)
に出会って、目からウロコだったんですよね。
人はひとりひとりが「人生の目的」をもって、この世の中に生まれてきている。
しかしながら残念なことに、人間の性として
わたしたちは、生まれた瞬間に、そのことを忘れてしまうんですね。
なんとかして思いだそう!と思ったわけです。
それから、もうひとつ。気になっていたナゾについても探りたいと思いました。
「人はなぜ、マウンティングをしたがるのか」
たとえば、わたしたちコピーライターの “あるあるネタ” でいうなら
どんなクライアントを担当しているか?
どんな規模の案件を担当しているか?
どんな表彰歴があるか? などなど
コピーライティングとは直接関係のないところで、せめぎ合っていたりします。
だったら、TCCそのものはどうよ?
TCC会員じゃないコピーライターにもスゴい人はたくさんいるよ!
存在自体マウンティングそのものなんじゃないの?
…と、いわれるかもしれませんよね。
これは、わたし個人の感想にすぎませんが
TCCは職人ギルドのような存在かと。品質の維持をはかるための組織ですね。
ライフパーパスコーチングを学んでいてステキだなあと感じたのは
「人は美しい」という気づきです。
「人がもっているすべてのものに価値がある」ともいえます。
「いい」「わるい」ではない。
「正しいか」「まちがっているか」ではない。
「有益」「無益」ではない。
「幸運」「不運」ではない。ただそこにエネルギーがあるだけ、なんですよね。
それをおもしろい記事にしている文章に遭遇したので、共有します。
(表記の一部をシンプルにしています)
“わたしたちの本体は、「波」という個別の現象ではなく
「海」というたったひとつのもの。
波は、海という運動の一瞬のあらわれにすぎない。
そう考えれば、波としての自分が、波としての相手と
「おれのほうが!」「わたしのほうが!」と
そのときどきの高さ、大きさ、勢いなどを躍起になって競い合ったところで
なんの意味もなさないことがわかる。
波という現象に、実体はない。
どんなに高く、大きな波も、どんなに勢いのある波も
いつかは砕け散って大海のなかへとけていくのだから。
その瞬間、すべてはひとつだったということに気づくのだろう”
(ハフポスト日本版:人はなぜ「マウンティング」をしたがるのか)
全体性への気づき。これを、自分のチカラで体感できるはず!と確信している
10月22日の神戸海知代です。
まずはアセスメント、がんばろうっと。
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