サモトラケのニケ。
「パリ行きたい」
ボサボサだった髪を散髪してもらい、帰宅するとM1グランプリの敗者復活戦があっていた。今日の夜、M1の生放送を最後まで見るか、途中で鎌倉殿に浮気するか、まだ答えは出ていない。出ていないのだが、母から「最終章、待っているんですけど」というラインが来たので、慌ててこれを書いている。M1が始まるまでに書き終えられたらいいのだが。
月曜から金曜までの5日間、二つの旅の話を書いた。旅の話にしたのにはワケがある。最後に、3つ目の旅の話を書いて終わりにしたいと思う。
ナイキという会社がある。言わずと知れた世界を代表するスポーツブランドである。素晴らしい広告キャンペーンを毎年のように量産し、広告業界でも屈指の存在感を放っている。これはブランディングのケーススタディとしてあまりにも有名な話なのでご存知の方も多いと思うが、最初のナイキのシューズは日本製だった。
60年代、フィル・ナイトという若者が日本にやってきた。そして日本での旅で出会ったオニツカタイガーの品質と価格の安さに感動し、販売権を取得。帰国後、店舗がないので、トラックの荷台にシューズを積んで、全米で販売しながら旅をしたという話。ただ、これは本題の3つ目の旅の話ではない。
ちなみにその後フィル・ナイトは、オニツカタイガーとの契約を終了し、オリジナルシューズを福岡のアサヒシューズに発注。なので、最初のナイキのオリジナルシューズは福岡生まれで開発コードの「OHBORI」は、今も福岡のランナーの聖地である大濠公園から来ている。
2021年に賛否両論の中行われた、東京オリンピック。開催の意義やその他諸々話題に事欠かなかった、というか現在進行中でもあるが、本筋から外れるのでおいておくとして、閉会式の中で2024年パリ大会のプレゼンテーションビデオがあった。期待感を最高に掻き立ててくれる、そして自由の国フランスらしい素晴らしい映像だった。それをみていたであろう母からラインがきた。
「パリ行きたい」
彼女は、とある熊本の温泉旅館の女将だった。
結婚以来、40年以上を若女将からはじまり女将として働き続けた彼女は、自分の残りの人生を考えたときの一番の心残りが「旅をしていないこと」だった。それはそうだ。人が旅行をする週末や祝日、大型連休は一番の書き入れ時なのだから。65歳を迎えた彼女の二人の息子はもう独立し、長男はこんなところでコラムなんて書いている。
「自分もいろんなところを旅してみたい」
自分の体が元気なうちに。それはつまり女将の引退を意味する。そして40年以上、旅館を支え続けてくれた彼女の意思を、夫も、息子たちも尊重し、旅館を売却することにした。それは2019年のことだった(長男だけは涙を流し、最後まで抵抗した)
旅館の売却も無事に決まり、2020年になった。長男が指を大怪我しマカオで大損をしていた頃、女将たちは最後のお客様を、精一杯もてなすつもりで準備をしていた。その時、世界を突然、コロナ禍が襲った。70年以上続いた旅館の歴史も、突如途絶えることとなった。
「その時期に売れたのはラッキーだったね」
そう言う人も多くいた。事実そうだと思う。しかし、女将は本当に悔しそうに、旅館を引き渡すその日まで館内をきれいに保ち続けていた。いつお客様が戻ってきてもいいように。最後のおもてなしを、できない誰かにするために。ちなみに長男である僕も最後の二ヶ月、折しも最初の緊急事態宣言が出た4月から、リモートワークを誰もいない旅館のロビーでしていた。誰も入らない温泉に一人で入り、たまに露天風呂の水を抜いて高圧洗浄機で掃除をした(急に暖かくなる春先は苔の発生も激しい)
ようやくコロナとの戦いも終わりが見えてきて、これから旅に出る人が増えることだろう。そう信じたい。その時はどうにか、できないおもてなしをしたかった人たちのことも考えて欲しい。別に御礼なんか言わなくていい。でも、旅ができる幸せを。そしてそのあなたの旅先を少しでも幸せなものにしてあげたい。そう思ってくれる人たちがいる幸せを噛み締めて欲しい。
ちなみに、ナイキのロゴマーク、スウッシュマークはルーブル美術館に展示されている「サモトラケのニケ」という大理石彫刻の羽の部分をイメージしてデザインされた。ニケというのは勝利の女神。つまりニケ=NIKEということでそのままブランド名に、やがて社名になり、ナイキのスポーツギアは今でも勝利を象徴するブランドとして、世界中のアスリートに愛されている。ちなみに、先のパリのムービーの中で、ラ・マルセイユーズをマリンバで叩く印象的なシーンが、ルーブルのあの大階段で撮られているのもおそらく意図的なものだと思う。
コロナに勝利することができたら、最後の親孝行として母をパリに連れて行ってあげたい。次回、このコラムのバトンが回ってきたら、3つ目の旅の話として皆さんに紹介できればと思う。しかし、かえすがえすも残念なのは、マカオでの大敗だ。あのお金があれば、母の分の旅行代も出してあげられたのだが。
さて、M1が始まった。サモトラケのニケは、今年はどのコンビに微笑むのだろう。
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というわけで、なかなか九州へはバトンが回ってこないので、長々と書いてしまいました。特に九州一周旅行は我ながら長すぎましたすいません。ロードムービー好きなんです。
それと、過去のコラムで散々旅館の宣伝をしまくったのと、久々に会う人たちが割と頻繁に「コロナで旅館大変でしょ?」と聞いてくれるので、現況報告までに今回書かせていただきました。
明日からは同じ電通九州の同僚にして同郷の湯治健富くんにバトンを渡します。熊本の県北から県南へ。毎回思うんだけど、湯治くんの方がよほど旅館の息子みたいな名前してんだよなー羨ましい。
では、湯治くんよろしくお願いします。
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