そもそも、ことばは「音」だった。
ことばが「文字」になったのは、ずっと後のこと。
日本語は中国の漢字を借りることによって
やっと「書ける」ようになった。(万葉仮名)
それは、たかだか千数百年前のことに過ぎない。
ことばといえば、
音よりも文字のほうをイメージする。
そうなったのも、この百年ほどのことだろう。
「近代化」のひとつの結末かもしれない。
いまのビジネスもコミュニケーションも
いつのまにか「電話」さえ使わずに
ディスプレイの文字を「黙読」する時代だ。
このコミュニケーションは痩せている。
ほんとは音声のほうがずっと情報量が多い。
文字列でニュアンスを伝えるのはとても大変だ。
メールの文章は紋切り型で感情が伝わらない。
だったら・・・話したほうが早くない?
「ことばは音」を示した、よい契機があった。
2018年TCC新人賞の「へーホンホヘホハイ」。
これは講義でもよく使わせてもらった。
歌人、穂村弘の人気作のひとつ。
体温計くわえて窓に額つけ
「ゆひら」とさわぐ 雪のことかよ
この「ゆひら」と「ホヘホハイ」は同じ位相にある。
本来なら「ゆきだ」と「ポテトパイ」と、
発音されるはずだった「音」を隠している。
この口語短歌の名作を読むと、
もうひとつのコピーを思い出さないだろうか?
奇しくも同じ年のTCC賞、日清カップヌードルの
アオハルかよ
この「かよ」という「切れ字」が共通点だ。
「かな」でも「かも」でもなく。
「かよ」は平成の、口語の、新しい切れ字になった。
令和の口語短歌はますますカジュアル化するだろう。
コピーも同じく口語化するのは必然かもしれない。
今年の新人賞のカップヌードルもほぼその文脈にある
・・・と思えば、なにかわかった気もする。
日本語の「言文一致」は、まだまだ、つづく。
__________________________
追記 ( 2/18 )
本日、コピー年鑑2022 が届いた。
岡本欣也が、TCC賞「メルカリ」の選評で
まったく同じことを言っている。
文言までほぼシンクロニシティしている。
広告界の言文一致運動はこれからもつづく。