シェア型書店をはじめてみた(2)
ありがたいことに幼き日、若き日の「なりたいもの」にはだいたいなれたものの、「神保町の本屋さん」については、さすがに夢というよりはジョークに近い感覚でとらえていた。よく本好きが「本屋の主人になって客のいない時にたらふく本を読むのが夢だよなあ」とか冗談を言うが、ほぼそんな気分であった。
しかも「本屋さん」の前にわざわざ「神保町」が冠されているのはなぜか。東京にお住まいでない方のために注釈を施せば、千代田区の神保町(じんぼうちょう)は世界最大の古書店街なのである。本好き、とりわけ古書好きにとって「神保町」は、格別な思い入れとあこがれの対象だ。かくいう私にとっても神保町は精神的なホームといっていい街である。
後に「本のデパート」さながらの大きなビルに生まれ変わる三省堂書店がまだ古めかしい三階建てだった頃から、ほぼ半世紀近く神保町に通い詰めている。通い出した中一の頃、神保町の由緒ある古書店群は小僧にはハードルが高い感じもしたが、すぐにそれにもなれて、高校から浪人、大学にかけていつも神保町の喫茶店で戦利品の古書に漬かる日々だった。あの愛書狂のJ・J氏こと植草甚一さんが喫茶「きゃんどる」の旧店舗で同じようなことをなさっていた時代である。
そんな読書ファンの自分がやがてプロの書き手になった時、神保町はまず街じゅうが資料庫ともいうべき恰好の執筆の拠点であり、またそうやって出来上がった自分の著作が晴れがましく店頭にお披露目される場所という位置づけに変わっていった。苦心して上梓した自分の著作が神保町の新刊書店に並ぶ頃、各店をハシゴして陳列の様子を偵察に行くのは、著者デビューして約40年変わらない愉しい習慣である。そんなこんなで自分にとっての神保町は、大好きななじみの街を通過して、自分の人生に食い込んでいるホームなのだった。
といった次第で、「本屋さん」をやるなら「神保町」しかありえない、というくらいの長年の親しみが背景にはあるのだが、しかしこの古書街をいくらかでもご存知の方なら「神保町の本屋さん」なんてそんなにたやすくなれるものではない、いやむしろ絶対不可能だと思われることだろう。あの膨大な本を絶え間なく仕入れ、目利きの知見で本を選び抜き、絶妙な値付けで愛書狂たちと渡り合う……格式ある古書店群からは、そんな至難の営みを積み重ねてきた迫力(殺気?)が漂ってくる。ちょっとやそっとの思いつきで、こんな歴史の賜物は模倣できっこないのである。
だから「神保町の本屋さん」は、ある意味「映画の監督」以上に実現性を帯びないファンタジーでしかなかったのだが、50代も終盤のある日、ひとまわり若いカミサンが(それだけに私がスルーしてしまう情報をあれこれ教えてくれるのだが)「シェア型書店って知ってる?」とささやいて来た。彼女がざっと聞きかじりのシステムを解説してくれると、それはちょっと現物を見たいものだなと思った。
調べると、その嚆矢ともうべき店がなんとカミサンの生まれ育った吉祥寺にあるらしい。物見高いわれわれはすぐに吉祥寺に向ったが、かつて人気のあった洋食屋がいつの間にかその「シェア型書店」というものに生まれ変わっているではないか(つづく)
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