師匠
こんにちは。
コピーの安打製造機、岡部さんから
バトンを渡されてしまった渡辺悦男です。
きょうは、その岡部さんと知りあった頃の思い出などを。
もう20年くらい前の話です。(古い話ですみません。)
僕はまだコピーライターと名乗れないような駆け出し。
ある競合プレゼンで、ワタナベひとりじゃ不安だというので、
登場したのが岡部さんでした。
岡部さんを紹介してくれたのは、故人となられた赤井恒和さん。
赤井さんはコピーライターにとって神様のような人で、
その人が推薦するコピーライターというのは、
なんだか後光がさしているような感じでした。
(赤井さんのコピーは、
60〜70年代のコピー年鑑を見てください。
いまでもドキッとするみずみずしさがあります。)
で、20代なかばの僕の前に現れたのは、
なんていうんだろ、学生のときのクラブのセンパイみたいな、
とでもいったらいいのか、すごく気さくな人で、
その仕事はとっても楽しく、かつベンキョーになったのです。
(プレゼンには勝ったものの、
その仕事はいろんな事情で実現しなかったのですが。)
それから僕は、仕事がヒマなことをいいことに
、ちょくちょく岡部さんの事務所を訪れては
勝手に弟子入りしてたのです。
あるときは
「これから国鉄のコピー書くから、ナベちゃんもやってみる?」
とか言われて、1時間きっちり書きまくる。
で、なにが違うって、まず書く量が違う。
こちらは厚みが数ミリ。対してあちらは数センチ。
とにかく岡部さんは書く。書きまくる。
しかも、当然のことながら、中味が違う。
あるとき、こんなことを言われたことがあった。
「ナベちゃん、キャッチを書くときは、
原稿用紙のマス目にきちんと書かなきゃダメだよ。
ただ書きなぐって数を増やしてるだけになっちゃうよ。」
その通りであった。
岡部さんは、巨人に移った工藤が
後輩にピッチングの極意を指導するように、
いろいろと教えてくれたのであった。
まさに恩人である。
(師の恩にこたえられないところなど、
私は巨人の小野みたいなものだが。)
そういうわけで、
ほかならぬ岡部さんの頼みごとはぜったいに断れないのだ。
このリレーコラムも、焼肉の誘いも。