リレーコラムについて

何食べる?の2

濱田篤

きのうのつづきです。

恋人、もしくは恋人にしたいと思っている相手と食事に行くとしますね。
とくにあなたが男性の場合は、どこで何を食べるかの決断をせまられるわけですね。しかも相手のことを大事に思えば思うほど、喜ぶ顔が見たいというプレッシャーがかかる。
「おいしかった」の一言を聞きたいと強く思う。
そのとき、あなたは何を食べたいか聞きますか?
それとも、あなたの好きなところへ連れて行きますか?
「和食がいいわ」「よし、○○へ行こう」と、相手のリクエストに即答できるというのはなかなかカッコいいことです。痒いところに手が届くかんじは頼り甲斐がありますよね。

だけど、最近、それ、ダメだと思うようになりました。
なんていうのかな、お前はどうなんだ、っていう声がどこかからするんですよね。
あえて言えば、そこには責任がないし、じぶんがない。
考えてみれば、向こうだってスパっと決めてもらいたがっていることだってあるはずでしょう?

コピーの書き方と関係があるような、と思ったのもそんなところです。
たとえば、競合のオリエンを受けた後、クライアントの好みから入る人たちがときどきいますね。
クライアントが何を食べたいのかばかりを気にするケース。
でも、望まれているのは、本当にそういうことかなんだろうか。
それがいちばんいい選択なんだろうか、っていう疑問、ないですか?
だいいち、何を気に入るかなんて、そんなこと競合じゃわかりませんよ。
当てにいくなんて、ねぇ。そうは思いませんか?
それより、僕に言わせていただければ、今は何が面白のかを考える方がよっぽどいいと思う。
なぜそれがいいのか徹底的に説明する。で、ダメならしょうがない。
もちろん、身勝手なクリエイティブをしようといっているのではありませんよ。
広告なんだから。作家活動とは違う。
でも、クライアントとパートナーシップを持とうと考えるだけで、クリエイティブの内容ってずいぶん違ってくるよなぁ…と僕は思うんです。
ちょっとエラそうでしたけど、最近はマジメにそんなことを思っています。
だからコピーもじぶんが面白がっているかという目で見ています(たぶん)。
そもそも競合っていう制度、どう思います?

というわけで、きょうのメッセージは「何が食べたいかはじぶんで決めよう」です。ちょっと違うかな?僕は1週間同じメニューでも大丈夫な方なんで、それも困りものなんですけど。あしたは100−50はいくつ?って話しです。
じゃあ、また。

NO
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