リレーコラムについて

1998年6月14日

中村禎

1998年6月14日、日曜日、午前11時30分。
トゥールーズの駅前は日本人でごった返していた。青い炎のレプリカユニフォームを着込んだ日本人たち。私たちは、M氏と連絡を取らなければならなかった。「2枚だったら、なんとかなるかもしれません。頑張ってみます。当日着いたら連絡ください」と、日本を出発する前、先発していたM氏に言われていたのだった。チケット騒動に巻き込まれた日本人ツアー客たち。私たちもその一部分だった。

「入れなくてもいいじゃないですか!その日その時間にその場所に居られることがいいんじゃないですか!タダシサン!」と励まし続けてくれた相棒と言い出しっぺの私、バカふたり。トゥルルー、トゥルルー。いかにも外国の電話らしい呼び出し音が聞こえる。「ハイ」「あ、中村ですっ!」「今どこすか?」「駅です、トゥールーズの」「大丈夫すよ。2枚ゲットしました!スタジアムの近くに着いたら、また電話ください」電話ボックスの外にいる相棒に小さなガッツポーズを送る。飛び上がりたい気分だったが、ボックス越しに見える他の日本人サポーターに申し訳ない気がしたし、スタジアムのゲートで無事にM氏と会える保証もないので、まだ不安ではあった。大型バス1台にたった9人の客を乗せた私たちのツアーバスは、スタジアム近くのだだっ広い駐車場まで行き、そこからは別のシャトルバスに乗り換える。トゥールーズ競技場のそばの公園に旅行社が用意した大画面で、せめてもの中継を観るためだった。

「ア〜ルゼンティナ!ア〜ルゼンティナ!」2台連結されたシャトルバスの中で、水色と白の縦縞たちと青い炎の日本人たちがごちゃ混ぜになる。老夫婦がその縦縞を着たいたりするところが、敵との歴史の差を感じさせる。ゲートの近くで降りると、そこには、なんともいえない殺気のような異様な空気が流れていた。ダフ屋を捜して走る日本人。日本人と交渉しているフランス人。日本人の名前を叫ぶ声。小競り合いの外国語。検問のあたりにはマシンガンを持ったデカイ警備員たち。交通整理の笛を鳴らす警官。ソーセージを焼く屋台。砂埃とクラクション。

私たちは電話ボックスに走った。「中村ですっ」「いま、どこのゲートですか?」「え?いや、スタジアムが正面に見えて手前に橋が架かっていて、川が左右に流れてて、それと平行に走っている道に、直角に立体交差があって・・・」自分でもよくわからない説明だと思った。地名の書いた標識をさがして、もう一度電話することになる。「 Croix de Pierr」という標識の文字を呪文のように書き写し、ふたたび電話ボックスに戻ると、なんと列ができている。全身の毛穴から汗が噴き出てくる。試合開始まで1時間を切った。「タダシサン!あっちにもボックスありましたよ!」相棒が道の向こうから叫んでいる。ダッシュ!クルマに引かれそうになりながら通りを渡り、ガラス張りの電話ボックスに飛び込む。深呼吸ひとつして、三度めの番号を押す。つながった!

マシンガンを構えたガードマンのいる橋の上。M氏と再会。もう、泣き叫びたいくらいの気持ち。背番号11番のKAZUと22番のYOSHIKATSUを着込んだバカふたり、堅い握手。下手に騒ぐと襲われそうな場所である。ボディチェックをひきつった笑顔で通過して、31番ゲートに近づいて行く。場内からリッキー・マーチンの曲が大音響で聞こえる。ああ、ちびりそう。最後のチケット確認をすませ階段を走って駆け上がる。目の前に、鮮やかなグリーンのピッチ上でアップをしている日本代表チームがいる。本当に目の前に日本代表がいるのだ。・・・相棒と抱き合う。スタジアムを見渡すと、ウルウルしてきた。
FRANCE98。とうとうワールドカップにやってきたのだ。

とまあ、前置きが長くなりましたが、来週は
その「相棒」にバトンタッチいたします。
私の中の「名コピーベスト10」に入る、
「愛だろ、愛っ」を書きやがった弟分です。よろしく。

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