リレーコラムについて

角田の軽さ

角田誠

病院の窓口で、僕は名前が呼ばれるのを待っている。

「カクタさん」「カクダさん」

「スミタさん」「スミダさん」

あの白衣の事務員はどう呼ぶのだろう。

「あの、ツノダ、ですが」

数えきれない場所で、いつも冷たい

トーンで切り返してきた。その事実を知るまでは。

父方の親類の葬儀でのことだ。

見送る相手が大往生であったこともあって、

斎場で骨が上がるのを待つ時間が、

やがて親戚の情報交換の場になった。

喪服で盛り上がる老人の輪に入るには躊躇があって、

遠巻きにしながら、一人ビールで咽を湿らしていた

僕の耳に、叔母達の声が引っ掛かった。

「カクタのうちがね」

僕はアルコールの力を借りて、

老人サークルに割って入った。

気になる「カクタ」に水を向けると、

叔母が、あらま、という調子で喋り出した。

「あんたのお父さんのお父さん、

 だから、おじいちゃんは、

 福島の会津の旧家でうまれたのよ。

 カクタ、っていう家の。

 でも次男だったから、真面目に暮らしたところで、

 家督を継げないでしょ。で、自分でひと旗挙げるぞって、

 秋田に行ったわけ。あんたの知ってる秋田の家よ。

 でもって、この際だから、

 カクタをやめて、ツノダにして。

 ほら、秋田の家の隣に家紋屋があるでしょ。

 そこで、この新しい家紋もこしらえてさ。

 あらま、知らなかったの」

喪服に染め抜かれた紋を指差す叔母を前に、

僕は言葉を失った。

ああ、わが姓の軽さよ!

ビールグラスを一気に空けると、

不思議に胸の奥に風が吹いた。

祖父に会ってみたかったと強く思った。

滅茶苦茶ではあるが、何かをかなぐり捨てる勢いが

僕は到底持ち合わせていない。

そんな気がしたからかもしれない。

祖父は、その後教育に携わり、

小学校の校長職に就くまでになる。

七人の子をもうけ、一時はそのひとりづつに

お手伝いさんを付けるまでの暮らしぶりであった。

しかし、その後で、またひと旗上げたくなる。

山師に捕まり、財を秋田の鉱山に注ぎ込むが、

金鉱を掘り当てるはずが、出たのはため息だけだった。

(天国のじいちゃん。

 字面をキープして読みを変えたネーミング法は、

 この場合悪くないアイデアだけど、

 ビジュアルがイマイチだったね。

 鹿の角の家紋は、ちっとベタだもの)
 

白衣の事務員は顔を上げると、

思いの外、若く美しかった。会計の書類を持って、

一瞬、躊躇っている。さて、何と呼ぶのか。

思わず立ち上がってしまった僕は、

もう彼女に笑顔で応えていた。

「ツノダです!」

僕は、わが姓よりも軽い。

NO
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