5人の広告作家 2
●もしその広告が目にとまらなかったら、なにも得られない。まず、見られなければならない。しかしアートはジタバタしたり、仕掛けを細工しなくとも自然に見られるのです。(中略)というのは、それが市場で売られているからには、なにかその理由があるはずだし、工場でそれをつくっているには、なにかがあるはず。それを買う消費者がいるからには、買わせるなにかがあるはずです。−それをつかみだして−それがなんであっても−仕掛けを使うより、その理由自身を印象づけるのです。
これは、「5人の広告作家」という本に載っていたレオ・バーネットの言葉。彼のページに載っている彼自身の仕事を見て、当時私は、おいおいおっさん、と思いました。1940年代の古い古い仕事なので古くさくてあたりまえですが、たとえば精肉会社の広告は、大きな生肉がふたつドン、と置いてあり、MEATという文字が大きくレイアウトされ、その下に「あなたに必要な蛋白質を摂るのを楽しくする」と小さく書かれている。赤い生肉の写真に「肉。」と書いてあるわけです。ただしその本はモノクロだったのですが、真っ赤な生肉の下には真っ赤な厚紙を敷いたそうで、しばらくあとで別の本でそのカラーの「肉」を見たところ、ほんとうに真っ赤な背景に真っ赤な生肉で、やはりコピーは「肉。」でした。クライアントははじめ「調理していない赤い肉は食欲を減退させる」といっていやがったそうですが、レオ・バーネットたちはいろいろな調査をして、生肉は婦人の食欲を減退させない、という結果を導きだしてクライアントを説得し、その撮影の時に、試しに赤い紙を使ってみたそうです。
生肉そのものをそのまんま、の意義に気づいたのは、3、4年後のことでした。クライアントは自分の商品を「美しく」見せたがる。肉にとって「美しい姿」は生ではなくておいしそうに焼きあがったところだという思い込みがクライアントには(いや世間一般にも)あった。それを「いや、まてよ」「生ってよくない?」と気がついた。その「気づき」に説得力をもたせるために「調査」を使った。写真のあがりを見て、肉の協会の人たちは喜んだそうです。いちどマネしてみたことがあります。肉ではなく黒いお菓子のパッケージが破れているのを黒を背景にスーパーリアリズムで描いてもらいました。失敗したのはよけいなコピーを入れてしまったことで、もちろんそのコピーは「菓子。」じゃないです。もちろんいちばんの失敗は商品が「黒い生肉」ではなかったことが今ならわかるのですが。
もうひとつ、レオ・バーネットの言葉。
●広告界には、泣き虫のクリエーターがいる。彼らは口を開けば、「クリエイティブ・マンの代理店が欲しい」といい、「クリエイティブの自由が欲しい」と泣き叫ぶ。彼らは効果のある広告に関心があるのではなく、エゴの満足に熱中しているのである。
ぐすっ、ぐすん、うえーん。
ADK 迫田哲也
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