鉄砲玉です。
お控えなすって。久能姉サンより「仁侠のわかる男」と
ご紹介預かりました、赤城廣治と申します。どこのモンじゃワレ!
という声が聞こえてきそうなので、簡単に自己紹介いたしますと。
(かたぎの言葉に戻しますね)僕はブリッツというプロダクションで
コピーライターをしています。BULLETSは弾丸という意味で、
僕ら社員は自分達のことを「お客様のために命を捧げる鉄砲玉」なんて
息巻いたりしてるのです。ははは。笑っちゃいますよね。
社員は5名。デスクの女性を除く全員がコピーライターです。
で、ここの社長が、東本三郎という男で、
僕が「親」として心底惚れ込んでいる人物なんですね。
まだガキだった僕を社長が拾ってくれたのが、もう足かけ12年も前に
なりますか。アドビジョンというプロダクション(東本は今でも
ここの社長です。ブリッツはここのコピー部門が独立して7年前に設立した
会社なのです)にどうにかこうにか入社したのがおつきあいの始まりでした。
「しかってくれる親が欲しいから」。僕の志望動機は
そんな言葉だったように思います。が、これが悲劇の始まり。
しかってくれる度合いがスゴすぎました。というか痛すぎ。
コピーが下手だと言っては殴られ、挨拶する声が小さいと言っては
蹴飛ばされ。企画会議でも、下手な案を出そうものなら(当時の案なんて
すべて下手な案ばかり。自殺行為です)代理店やら時には
クライアントが同席している席で、バチーンとビンタ。今でも
季節の変わりめは、トゥキックをくらった左手の小指がズキズキと疼きます。
コピーが下手だと(毎回そうなんですが)羽子板で失敗したときみたいに
顔にスミでいろいろ描かれて、その日は一日そのまま打ち合わせに
出なければなりません。おまけにその都度、顔を写真に撮られ、
それが壁に貼られていきます。10枚たまったら「クビ」というルールでした。
あ〜もう振り返るだけでも、痛い。体の傷ならガマンできますが、
心の方の痛みがどんどん大きくなっていき…
(胃潰瘍にもなり)よくもまあ生きていたと思います。
でも、そんなどん底があったからこそ今の僕はあるんだなと、
わりとはっきり明言できます。恥をかき、涙を流したあの日々が
(おしつけがましい&お涙ちょうだい的でスミマセン)
僕には必要だったんです。今ではその日々を愛してさえいます。
よくまわりの方々から「そろそろフリーにならないの?」とか
「入りたい代理店とかないの?」などといろいろ言われますが、
僕がもじもじしていると、質問をしてきた相手の方が
「そうだよね、東本さんとの仁義があるもんね」とか
「抜けられないよね…あそこは」なんて気を遣ってくださいます。
最初は僕も「親を裏切る(会社を辞める)ことなんてできないよな」と
いう感じでいましたが、ある瞬間を境に「僕は絆や仁義に
しばられてるのではなく、自分が好きだからブリッツという会社に
いるんだ」と思えるようになりました。そのある瞬間とは。
今からもう5年も前になりますが、TCC新人賞の授賞を東本社長に
電話で伝えたところ受話器から一瞬何も聞こえなくなり、
その後、はっきりとむせび泣くという表現がぴったりくるような
男の泣き声がしてきました。「よかったね。本当によかった。嬉しいよ俺」
やっとのことでそれだけ言うとまた泣き声。僕はその時、思いました。
「僕のために泣いてくれる男がいる」でもなく、
「これが絆なんだな」でもなく。「この男が好きだな」と。
「この男のそばでモノをつくっていきたいな」と、ただそれだけ思いました。
その日以来、僕は胸をはって言えるようになりました。
「僕はブリッツに、いたいからいるんです」と。
初日から長々&重々な文章でスミマセン。でも、僕を
知っていただくには、どうしても避けて通れない話だったものですから。
あ。また左手の小指がズキズキしてきた。きっと今夜は寒くなりますよ。
みなさん、風邪などひかないよう。
以上、小さな鉄砲玉のちんけな告白でした。