リレーコラムについて

シャモニ-の恐怖

小野寺龍雄

ジュネーブからハイウェイを南へ走る。
フランスの国境検問所を通過し、
深い森の中を数時間行くと四方を山に抱かれた小さな町シャモニ−がある。
フランスとイタリア。そしてスイスと国境が接する町。
モンブランへアタックする登山者たちのベースキャンプになる。
スノーシーズンは、スキーリゾートとしてにぎわう。

僕が、この街へ行くことになったのは、
あるスポーツメーカーのスキーウェアの撮影だった。
僕は、スキーの経験がなかった。ただの一度も。
それでも上司は、僕を担当に選んだ。なんと無謀なんだろう。
スキーウェアの撮影ならば当然ゲレンデのシュチエーションがある。
ADは工藤清隆といった。前の年に同じ場所で撮影をしていた。
小野寺は、滑る必要がないという。つまり滑れなくても大丈夫ということだ。
僕はOKした。

僕らが滞在することになったロッジは、標高千メートル以上の場所にあった。
早朝、ロケハンへ出発する。ゴンドラに乗りさらに標高は二千メートルを
越える。気温はマイナス10度程だ。
ゴンドラを降り、スタッフは機材の準備にかかる。
「さあ、行こうか。」
その時、工藤が「ここからはスキーで滑らないと
町まで降りられないんだよ。」とにっこり笑いながら言った。
彼の手には、新品のスキー板と靴があった。
「これ、小野寺の。」

いまだったらゴンドラでUターンをすればよかったじゃないかと思う。
スタッフに手伝ってもらいながらなんとか靴と板を履いた。
僕の背中に工藤のぼそっとした声が届く。
「途中に氷河のクレパスがいくつもあるんだよな。落ちたら最後だぞ。」
ばかやろー。僕はもう谷へ向って滑りはじめていた。と言うよりも落ちていた。

ボーゲン。八の字。そんなことも全く知らなかった。
頭に浮かんだのは、テレビで見たオリンピック中継だった。それも直滑降。
とにかく足を揃えて倒れないようにする。スピードが増してくる。
風圧で体が後ろへ持っていかれそうになる。
ストックを両脇に抱え、体を小さく丸め、より前傾する。
するとスピードは、さらに増してくる。
このまま転ぶと絶対に死ぬだろうと思った。
少なくとも全身骨折で植物人間か。担架に乗せられたまま日本へ帰るのか。
風圧に負けないように歯を食いしばった。
その瞬間、僕の体は空へ舞った。

どれくらいの空白があっただろう。
雪の中で意識があった。何故か目を開くのが恐かった。
どこかが折れていると思った。まず、右手を動かしてみる。
次に左手。そして、右足。左足だ。深呼吸をした。そして目を開けた。
どこにも痛みはなかった。無事だった。
ゆっくりと周りを見渡し、もがきながら立ち上がろうとした。
その時、僕の横を工藤が「下で待ってるぞ。」と声をかけながら
滑り降りて行った。

この日、工藤の後から滑ってきたセラ・ファビヤンヌに僕は助けられた。
彼女は、札幌オリンピックの銀メダリストだった。
今回の撮影のセルブリティとして彼女の生き方をインタビューするのも
僕の仕事だった。
その日から2週間。彼女に僕はスキーを教わった。
日本へ帰る頃には、あの恐怖が消え、
スキーと付き合っていこうと思いはじめていた。

親友の工藤清隆は、撮影したフィルムで素晴らしい作品を制作した。
繊細で、大胆。
彼は、この仕事の何年か後にサン・アドの同僚だった
AD山田正一と独立しWOOLという暖かいネーミングのデザインオフィスを
スタートさせた。
しかし、1年後。癌で川を渡ってしまった。
手遅れだった。42歳。早過ぎる死だ。
もっと彼と仕事をしたかったと思う。

今シーズン、僕はまだゲレンデへは行っていない。
ゲレンデに立つと吹雪の中に、サングラスの向こうに、工藤の顔が現われる。
そして、ふとあのシャモニーの恐怖が蘇ってくることがある。

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