ひとつ屋根の下の他人
田中麻子
桜の季節に思い出すのは、以前住んでいた世田谷のマンション。見事な桜が見渡せるそのマンションに、ほんの2、3年のつもりで入居した。なのに16年も居ついてしまった。それは、そこで出会った住人たちのせい(?)だった。
はじめは、家に寝に帰るだけの生活をしていたので、住人の誰とも顔を合わせるようなことはなかった。それがいつのまにか、あいさつを交わす人ができ、米やおかずの貸し借りがはじまり、やがてワインや酒、鍋や大工道具、テーブルや服があっちこっちを行きつ戻りつしているうちに、戸数32の小さなマンションの中の6戸、つまり6軒の家の人々それぞれが、自由に出入りする長屋生活になっていった。
長屋での生活は、たとえばこんな風だった。留守にするときは、ベランダの植木の水やりやペットの世話を頼むために、家のカギを預けあう。週に何回かは、何軒かが一緒になって子どもたちも加わり、ごはんを食べる。病気になれば、時間の空いてる誰かが病院まで車で連れていく。夜中まで、誰かの悩みについて討論もする。わたし専用のごはん茶わんや、湯のみが用意されている家もあったから、夜遅く帰るとすぐ、「麻子、ごはん食べた?」という電話があり、温め直しの夕飯にありつくことができた。兄弟ゲンカしたり親に叱られた子どもたちが、ほかの家に家出することもあった…
マンションというひとつ屋根の下で、身内のように住んでいれば、それぞれの生活はまる出し。ヘタなうそをついても、ヘンな見えをはってもはじまらない。夫婦ゲンカの、激しいののしりあいの現場にだって何度も遭遇しているし、感情むきだしのケンカもした。それでも楽しく暮らせたのは、みんなが上手に「ひくコツ」を心得ていたからだと思う。
わたしはここで、生の消費者データをいくらでも採取できた。このほかにも、ふつうに親しい家庭がいくつもあり、赤ちゃんから痴呆のばーちゃんまでが住んでいた。そして年齢も考え方もライフスタイルも違う、多様な人間観察ができるこの関係を、わたしはいまでも引きずっている。
わたしの担当はきょうで終わります。ありがとうございました。
来週からは、いよいよ手塚俊平さんの登場です。
手塚さ〜ん!よろしくね。
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