リレーコラムについて

向秀男さんのこと

手塚俊兵

TCC入会を果たした1985年、初めてお目にかかれたのが魅
力的なコピーも書くアートディレクターの向秀男さん。私が
新人賞をいただいた広告主である食品メーカーの顧問をされ
ていたため、ご挨拶に伺うことが許されたのでした。

大柄で優しい目をした向さんは、誰でもすっぽりとつつんで
くれるような温かさに満ちています。訪れた向デザイン企画
室で私は時間のたつのも忘れていろいろなお話に聞きいって
いました。「ケンとメリーのスカイラインは、最初プレゼン
したときジョンとメリーだったんだよ。当時僕の家で飼って
いた犬の名前がジョンだったんでね」。こんな楽しい話もあ
りましたが、ハッとするようなことも仰いました。それは、
パッケージグッズにおける広告手法についてでした。「社名
もロゴもボディコピーも隠して見たとき、何の広告なのかパ
ッと解らなくちゃだめなんだ。キャッチコピーとメインビジ
ュアルでどこまで伝えられるかが勝負だよ」。この教えは、
以来私が仕事をするうえでずっと留意し続けていることす。

人柄も話術もすっかり向さんの虜になった私は、その後しば
しば作品を見せに向さんの事務所に顔を出すようになり、今
考えるとなんてあつかましいのかと思うのですが、やがては
ラフスケッチの段階でご意見を伺うようになりました。そし
てある会社案内のラフとコピーを持っていったとき、じっと
ご覧になっていた向さんは最低限の指摘だけされ「君がいる
会社とは身内みたいなもんだし、プレゼン、いっしょに行っ
てあげるよ」と、いきなり言いだされたのです。私が舞いあ
がったことは言うまでもありません。プレで向さんは新しい
会社案内の有用性をいろんな事例を交えてお話しくださり、
その仕事は大きな直しが入ることなく形になりました。

しかし勤務先の会社では大問題になっていました。上司には
報告していたのに「手塚は勝手に向さんのところに行って、
プレにまで引っ張り出してる、けしからん」と。私は向デザ
イン企画室への出入りを禁止されました。後日TCCのパーテ
ィでお会いしたときそのことを告げると、向さんは「なーん
だ、それなら黙って来ちゃえばいいじやないか」とにこやか
に話されたのです。うれしいお言葉でした。とは言え、そう
ちょくちょく事務所にお伺いするのもためらわれ、私はだん
だんと会社に居づらくなっていました。

向さんに初めてお会いした2年後、私は広告制作プロダクシ
ョンのマグナに転職しました。そして1ヶ月が過ぎたころ、
向さんがぶらりと訪ねて来られました。「どうだい。元気に
やってるかい」。「はい、楽しくやってます」。「そりゃあ
よかった」。私の横で私以上に緊張していたマグナの社長の
柳町さんの姿が昨日のことように思い出されます。一瞬の陣
中見舞でしたが、私がものすごく元気付けらたのはもちろん
です。お帰りになるとき、エレベーターホールまでお見送り
した後、6階の窓からもう一度向さんをお見送りしました。
キャメルのブレザーを着た向さんがみゆき通りを松坂屋方面
にゆっくり歩いていかれるのを。そして、これが向さんとの
最後のお別れになってしまいました。

それから5年が経ちました。私はもういちど転職してからフ
リーのコピーライターになっていました。当時地方の仕事に
かかりきりになっていた私は、月の半分は現地で過ごしてお
りましたが、そこで向さんの訃報を聞かされました。通夜に
も葬儀にもお伺いできませんでした。地方の仕事がひと段落
した夏の暑い日、向さんの墓前へご挨拶に伺いました。

そしてもうすぐ10年が経とうとしています。そろそろまたい
ろいろなことをご報告に行かなくては、と思っているところ
です。

今日は長くなってしまいました。明日は自分のことでもお話
しします。

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