イスラエル女兵士
学生の頃から旅行が好きだった。
いわゆるバックパッカー。
シベリア鉄道に揺られてユーラシア大陸を横切ったり(風呂もシャワーもなくて大変だった)、
コロンビアでトラベラーズチェックを盗まれたり(3ヶ月分の旅行資金だったので大変だった)、
中央アジアで赤痢になったり(死ぬかと思って大変だった)、
インドでガンジス川を見つつ『ガンダーラ』を聴いたり(これは大変じゃなかった)。
チリとかニカラグアとかエルサルバドルとかキューバとか、
変なところもけっこう行った。
会社に入ってからもときどき仕事を放棄して3週間くらい消えるんだけど、
ここ数年で行ったのは、中東、東アフリカ、南米ギアナ高地。
偶然なのだけど、最近、自分がまさに行った場所で政治的な悲劇が多く、
ちょっと暗い気持ちになる。
去年4月、テレビを見ていたら
ユダヤ人十数人を殺害したパレスチナ過激派(とされる人々)が教会にたてこもり、
イスラエル軍の戦車に包囲されている、というニュースをやっていた。
ベツレヘムの、キリスト生誕教会。
え?と思った。その2年前に行ったことのある教会だったから。
去年10月、ユダヤ系ホテルが爆破され宿泊客十数人が死亡したケニアのリゾート地、
モンバサは、おととし行って物売りに絡まれた町だ。
停泊中の米軍の軍艦がテロで爆破されたイエメンの港町・アデンで、
ガキンチョと仲良くなって写真撮ったことを覚えている。
そして今日、新聞でベネズエラの政治紛争、ゼネスト、
大統領退陣を求める市民派と大統領派の衝突の記事を見た。
ベネズエラは、まさに3ヶ月前、ギアナ高地めあてで行っていた国だ。
一度でも、一日でも、行ったことのある国で何かがあると、
ニュースの映像や新聞の文字が、すこしだけだけど、別のものになる。
急に記憶の中のワンシーンがよみがえったりする。
たとえば、イスラエルに行った時のこと。
ヨルダンから、いわゆる「ヨルダン川西岸地区」を抜け、イスラエル国境を超えた。
国境のイミグレーションで荷物のチェックを受け、入国審査をする。
イスラエルは徴兵制、国民全員に兵役のある国だ。
係官は軍服を着た、20歳くらいの女性の兵士だった。
美人だった、という話ではない。普通の女の子だ。
なんで軍服なんか着てるの?といいたくなるような、
でもちょっと気の強そうな、普通の女の子。
知っている人も多いかもしれないけど、
パスポートにイスラエル入国の形跡が残っていると、
以後、ほとんどのアラブ諸国で入国を拒否される。
だからイスラエルは希望があれば別紙に出入国スタンプを押して跡が残らないようにし
(観光はイスラエルの重要な外貨獲得策だ)、
多くのバックパッカーは実際、それを頼む。
僕はちょうどその8ヶ月後にパスポートの更新を控えていたし、
とうぶんアラブ圏に行く予定はなかったので、スタンプを押してもらおうと思った。
そのとき並んでいた人がみんな別紙スタンプにしていたから
当然僕も別紙だと思ったんだろう、彼女はもう紙を用意しながら、
僕に目もやらずにどうするか訊いた。
パスポートに押してくれ、というと、彼女ちょっと驚いたように顔を上げ、
みんな別紙にするのになんで?と訊いてきた。
たどたどしい英語で「…いや、いい記念になるから」としどろもどろで返した僕に、
「それは、、、とてもいいことよ」と答えた彼女の笑顔が今でも忘れられない。
ずらっと並んだ外国人たちに次々と、キミの国のスタンプはパスポートに押さないでくれ、
と言われるのは、いい気持ちではないだろう。
でも、それとは別に、同時にもうひとつ、僕はその20分後に見た光景も強く思い出す。
国境を超えて5km。ジェリコという町のことだ。
そこには長い長いフェンスに囲われたゲートがある。機関銃を持った兵士に、堅く守られたゲート。
こちらの兵士はユダヤ人ではなく、精悍なアラブ人の青年。
いわゆる、パレスチナ自治区だ。
パレスチナは、国ではない。だからゲートで荷物チェック、パスポートチェックがあるが、
出入「国」スタンプなど、ない。
観光か?と鋭い目で僕を見て、そうだと答えると、
迷彩の軍服を着た、強持ての彼は突然ぎゅっと、強く、僕の手を握った。
“Welcome to Palestine!(パレスチナへようこそ)”
突然の握手の強い力と、彼の太い声の調子が、まだ体のどこか奥のほうに残っている。
僕はなんだか分からなくなってしまう。
イスラエルの女性兵士。アラブ人の青年兵士。
どちらの姿も、僕の記憶のなかで鮮明だ。
どちらも僕のなかに確実に何かを残している。
「ユダヤ人は第2次大戦中あんなひどいめにあったのに、
なぜ同じことを他の民族にできるのだろう」と言った知人がいる。
たぶん正常な反応なのだろう。
でもその言葉を聞いたときまっさきに僕の頭に浮かんだのは、
あの軍服のあまり似合わないイスラエルの女性兵士の姿だった。
そして「そうだね…」と言った後、今度はパレスチナ人の青年の右手の力を思い出した。
僕はほんとうになんだか分からなくなってしまう。
立派なことが言えるほど、世界にコミットしているわけじゃないから。
ただひとつだけ言えることがあるとしたら、
旅を、空間を移動することで、
意識を、精神をつねに移動のさなかに置いておきたいということだ。
移動しつづけていこう。
ほんとうに、そう思うのだ。
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