エッセイについて
中澤昌樹
コラムやエッセイの面白さというのは、
結局のところ「誰が書いているのか」で決まるような気がします。
たとえば、いま売れに売れているキムタクのフォトエッセイ「開放区」は、
雑誌等でこんな紹介のされ方をしています。
「木村拓哉の初フォトエッセイ集。はじめて語る恋愛、SMAP、家族etc.…。
134枚の写真(本人撮りおろしのプライベートフォト含む)が明かす素顔。
キムタクではない“木村拓哉”の本音がそこにある」
もし、内容が全く同じで、著者が私ならどうなるでしょうか。
「中澤昌樹の初フォトエッセイ集。はじめて語る恋愛、SMAP、家族etc.…。
134枚の写真(本人撮りおろしのプライベートフォト含む)が明かす素顔。
キムタクではない“中澤昌樹”の本音がそこにある」
なぜ私がSMAPについて語らなければならないのでしょうか。
なぜ私の前に「キムタクではない」という断りが要るのでしょうか。
それは私に対して失礼というものです!
…論点が多少ずれてしまいましたが、
つまり言いたいことは、それほど有名でない私のような人が、
コラムやエッセイで人を楽しませるのはとても難しいということです。
そして、このように断っておけば、私はこのあと、
とても楽な気持ちでコラムを書くことができる、ということです。
それでは金曜まで、よろしくお付き合いください。
(編集部の方へ:とりあえず、5月6日ぶんを送らせて頂きます。今日以降、今週は出張等で留守にすることもありますので、まとめ送りさせてもらうかもしれません。ま、とりあえず、よろしくお願い致します。なお、この部分は削除してくださいね)
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