リレーコラムについて

ゴルフボールの気持

岩崎俊一

スタートホールまでは、誰もが平等に幸福である。
そこには朝陽がある。朝陽がなくても、朝の空気がある。木々は朝露に濡れ、小鳥はさえずり、仲間はそれぞれが胸の高鳴りをかかえている。スコアカードは汚れを知らず、キャディはやさしくほほえみ、前方には一生かかっても手に入らない広大な芝生が、自分のためにある。
そして、手にはまっさらなボールがある。つやつやとまぶしく、傷ひとつない美しいボール。
ゴルフを始めた者なら誰もが味わうこの歓びは、しかし、しばしば次の瞬間に暗転する。
第一打は大きく曲がり、「右にだけは行かないように」というキャディのたったひとつの注意をあざ笑うかのように、あっけなく谷底に吸いこまれてゆく。
ゴルフ場のフェアウェイは美しい。人事をつくすとはこのことなのかも知れない。整然と刈りこまれた一面の芝を見て、こんな贅沢が許されるものかと、初めてゴルフ場に来た僕は思ったものだ。
しかし、そこをはずした者に、ゴルフ場は容赦がない。初夏から秋までのラフは、真上からでないかぎりボールは見つからないし、打っても数メートルしか進まないことがある。林に入れてしまえば、人の心をいやし、美しい風景をつくるはずの木々が、あらゆる行く手をさえぎる邪悪な障害物になる。ゴルフの神はこう言っているのだ。「そこに行った者が悪い」
そして、この谷である。白いOB杭の外にあるこの場所は、すでにゴルフ場ではない。潔癖なルールに守られたゴルフ場の外である。雑草生え放題、枯れ木倒れ放題、まむし出放題の、暗くて深い無法の谷なのである。
ボールは買う人を選べない。もし僕ではなく、他の誰かが、30秒前にそのボールケースに手をのばしていれば、そのボールはたっぷりと一日、美しいコースを飛びまわっていたかもしれない。あるいは人々の注目を浴びるウイニングボールになっていたかもしれない。
「僕に出会ったばかりに」と申しわけなさに身を縮めていると、ふと、「僕と出会った」何人かの女性の顔が浮かび、彼女たちも果たして自分の身の不運を嘆いたのだろうか、などと、心はあらぬ方向をさ迷うのでる。
しかし、口をついて出る言葉は、まったく可愛げがない。ボールを探しに谷へ降りようとするキャディに、すまなさ半分、照れ半分でこう言ってしまうのだ。「いいよ、キャディさん。そんな縁起でもないボール。」
ボールは僕にこう言いたいだろう。「おまえが谷底に落ちろ」

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