山の郵便局
高橋一起
●ビジネス社会を離れ、1年間の山暮らしをしていたときのことです。
郵便局に手続きに寄った。
染めてない黒いままの髪を束ねた、丸い頬をした、まだ中学生のような娘さんが
窓口にいた。「東京から来られたんですかあ」
かあ、とのばしながら、ものすごく遠くを見るような目をした。
「冬は零下20度にはなるでね」
もう一人いた客、作業衣に地下足袋の老人が口をはさむ。
「なーんも音がせん、冬んなると。いやあ、音はするがね、風の音と鳥の声が。静寂っつうんかねえ」
静寂という言葉を、とっておきの言葉のように口にした。荘厳そうな顔をしていた。
「あのう…」窓口の娘さんが、ろくにぼくの顔も見ないで、おずおずと言う。「年賀ハガキいりませんか」
きっと、局長にセールスしろと言われているのだろう。痛々しい。ぼくも営業は苦手だ。
「100枚ください」
あとさきを考えずに買ってしまう。それから妻に頼まれていた質問をする。
「貸し金庫ありますか」
娘さんはキョトンとした。が、一瞬後その意味を理解し、あわてて後ろの先輩らしき女性、
20代前半ぐらいの女性に助けを求めた。
「聞いたことないねえ」
先輩の女性はそう答えたが、その答え方が「聞いたことない」のを
明らかに恥ずかしがっているふぜいだった。
二人でひそひそと相談を始めた。
カミツケにはあるかね、オーグワにはどうかねえ。軽井沢までおりればねえ…。
真剣に相談してくれている。地下足袋姿の老人は、ポカンとしてぼくを見ている。
ぼくは完璧に場違いな質問をしたらしい。
急に照れくさくなって、「なさそうですね」と、毛のない頭をかきながら立ち去りかかる。
どっと笑い声が起こった。ぼくが笑われたのではないことは、その邪気のなさでわかる。
足を止め、ぼくもいっしょに笑いだした。
あとになって考えてみれば、そのときみんなで笑ったのは、
貸し金庫なんてものを大真面目に必要と考える、都会の現実なのだった。
それも嘲笑ではなく、無邪気におかしがられたのだった。
山暮らしのカルチャー・ショック、これがその第3号だ。
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