東京
心の準備をする間もなく、突然今週のコラムを担当することになった篠原です。
今、リクルートメディアコミュニケーションズ(しかし、長い)という会社にいます。
リクルートから独立して丸2年の、まだまだ青クサイ会社です。
僕はそこで求人広告をつくっています。
突然ですが、もう20年近く前の、僕自身がまだまだ青クサかった時のお話から始めたいと思います。
3つの大学から入学を拒否された僕は、東京の予備校に通うことにした。地元の学校に行く手もあったが、とにかく向こうへ出たかった。憧れと好奇心、そして何より独りになりたかった。今思えば、仕送りを貰う算段までしておいて“独り”も何もないのだが、当時そんなことは露とも思わず、まずは住み家を探さねば、と“独り”東京へと向かった。
新宿にある某不動産情報センター。そこは、地方からやって来たとおぼしき学生たちでごった返していた。
「じゃ、次の方。」
僕の番だ。緊張を押し殺し、
「家賃4万円くらい、新宿まで30分圏内、駅10分以内、風呂付き。」
田舎モンと悟られてはいけない。聞かれる前にサラリと言ってやった。担当のお姉さん(どんな顔かは覚えていない。でも僕からすればとても垢抜けて見えた)が微笑みながら小首を傾げる。
『ヤバイ、何かしくじったか?…。そうだ、希望沿線を言いそこねた!』
「お客さんの条件、ちょっと厳しいかもね。」
『そこを探すのが、オマエの仕事だろ!』
と言う替わりに僕は、
「あっ、小田急線でお願いします。」
今はお姉さんの手元にある申込用紙の、さっき自分で書いた現住所欄に目をやりながら、早口で答えた。
「オダキュー?人気高いよのねぇ、東京じゃ。」
悟られたか!?言葉に練りこまれた軽い侮蔑を僕は見逃さなかった(そんなオーバーな)。一応タタいてみるけど、と端末に向かうお姉さん。コ、コンピュータだっ!なぜか“敗戦”の二文字が頭を駆け巡る。もちろん、そんな都合のいい物件はなかった。
「どうする?」
フレンドリーに話をしているつもりだろうが、ますます見下されているように感じる。
「京王線、とかでもいいです…。」
地元の友達に、スゲえ掘り出しもん当ててくっから、と豪語してきた。逃げ出すわけにはいかない。
小さな溜息をふっ、とついてから(今度も僕は見逃さなかった)、お姉さんは再びキーを叩き始めた。
「やっぱ、厳しいよ…。」
押し寄せる落胆と、得も言われぬ羞恥の念で溺れそうだ。
退散すべきか…。急にお姉さんの顔がパツッと明るくなる。
「今入ったファックなんだけど、」
京王線・聖蹟桜ヶ丘駅、徒歩1分。風呂付き、4万2000円。
「こんな掘り出しもの、ちょっとないかも!」
その声に反応して、隣のカウンターにいるダサい兄ちゃんが、チラリと視線をよこす。
「セ、セイセキね。(どこだ?セイセキって)」
その時の僕にとって、調布より先は外国も同然だった(聖蹟自体、1984年当時は全然マイナーだった)。
「新宿まで30分くらいだし、とにかく一度見てみたら。時期が時期だけに早い方がいいよ。」
「そうですよね!じゃ、今から行きます。」
その他の条件を聞いた記憶がない。その部屋が「線路沿いでしかも線路向き」とか「真北向きでベランダなし」とか「4畳半で築20年」とか、すべては行ってからわかったことだ。
完全なるカモ。悟られる以前に、僕は裸同然、120%の田舎モンだった。
京王線の新宿駅ホーム。5分後に出る「特急・高尾山口行」に乗れば、35分で聖蹟に着く。
が、特急券なんて買ってない。普通電車だと1時間。
『騙された…。』
改札をくぐり、しばらく立ち尽くす18歳の僕。
東京の私鉄は、特急だろうが準急だろうが普通だろうが同一料金。
そんなこと、夢にも思っていなかったのだ。
「特急」をやり過ごし、うつむきながら「普通」に独り乗り込む。
こうして、その後12年続く僕の東京生活は始まった。