京都
昨日は次女の誕生日だった。
横浜の出張を早めに切り上げ大阪へ戻る。家族の待つ茨木の我が家へは、なんとか20:00過ぎには着くことができた。
玄関を開けると(早く帰った時は、いつもそうするように)4歳の長女が大声で駆け寄ってくる。遅れて、今日の主役である次女が満面の笑みで後に続く。廊下の先には、自分で焼いたバースデーケーキをテーブルに運ぶ妻の姿。
「ただいま。」
玄関横の暗い寝室に目をやると、次女に手渡されるであろうプレゼント―ピングーのおままごとセットと木製の積み木。長女と僕とで選んだ―が、可愛らしい包み紙の中で出番を待っている。
2人に手を引かれて、もつれるようにキッチンに入る。ちょうど妻が、ケーキの上に2本のロウソクをセットするところだった。
「お誕生日おめでとう!」
そう言って次女を抱き上げる。
「ワタシも!」
長女がすかさずせがむ。
「えっ、おねえちゃんもー?」
次女を左手に持ち替えて、よいしょと抱き上げる。ずっしりくる。でも、この重さが心地よい。
僕が京都勤務になったのは、この2人が存在すらしなかった1998年のことだった。
烏丸通と御池通の交差する角、地下鉄「烏丸御池駅」の真上に支社はあった(今はない。2000年に関西の事業所は大阪に統合された)。どうもイワク付きの土地らしく、新年になると神主さんを呼んでお祓いをする。当時8階のフロアを借りていて、そこで制作・営業・スタッフ全員が延々と祈祷を聞かさるわけだ(最後にお神酒まで飲まされる)。
それでも、夏頃になると効力が薄れるのか、例のものがたまに出没するらしい。
丑三つ時にロッカーを揺らすガタガタお化け。
夜中、女子トイレから漏れ聞こえる赤ちゃんの鳴き声。
サーバールームのガラスに映る青白い女性の顔…。
(幸い僕はそっちの世界に鈍感なので、一度もお目にかかることはなかったが)。
だからだろうか。京都支社のメンバーは、一番最後に帰ることをとても嫌っていた。
一度、後輩のOという女の子と2人で夜なべをする日があった。コピーもバッチリ決まり、じゃ頑張って、と帰ろうとすると、
「ちょっと待ってください、一人にしないでください!」
Oに真顔で泣きつかれた。
「アホちゃうか、そんなもんいるわけないだろ!」
ちょっと相談したい原稿が、とかなんとか引き止められ、結局、朝まで付き合わされた。
その翌々週くらいか。今度は僕の番だった。
午前2時。周りを見渡すと残っているのは僕も含め3人。なんと2人は帰り仕度を始めているではないか。
「じゃ、お先します。」
7月の京都だ。深夜というのに、冷房の切れたフロアは重くぬるく澱んでいる。
「シノさんは一人で全然大丈夫ですよね。」
Oがいたずらっぽく手を振る。
「おーおー、早よ帰りっ!」
モニターに目を向けたまま、余裕をかます。ガチャ。出て行く2人。
『ほんとに、帰りやがった。』
しんと静まり返るフロア。と、突然、デスクの電話が鳴る。心臓が踊る。おそるおそる受話器を取る。誰も出ないで切れる。アイツめ、いたずらしやがって…。
「明日、殺す。」
搾り出すような独り言。殺す…?自分の吐いたこの言葉に、全身の汗が引く。頭の中で「コ・ロ・ス」がリフレインする。
集中、集中。そう自分に言い聞かせるものの、2人が帰ってからの企画書は1ミリも進んでいない。
「キッ、ガガガーッ。」
湿った空気を揺らす機械音。椅子から転げ落ちそうになった。
か、かってにコピー機がぁ〜!!!(そりゃ、たまには動くって)
あわわわわっ。もう、アカン。
そのまま逃げるよう帰ったには言うまでもない。