リレーコラムについて

広告の神様は存在するか。

赤松隆一郎

コラムの最初に書きましたように、
今回は広告に関係ある話と、まったく関係ない話を
交互に書いてみようと思ってますので
本日は関係ある話です。

広告の神様は存在するか?

僕はいると思います。
いや、正確には神様かどうかはわからないけれど
それに近い「何か」はいると思う。

広告の仕事を始めて、まだ10年弱なので
わからないことだらけの僕ですが、
それでもいくつかわかったことはあるんですね。
この仕事は、選択の連続だということです。
企画をたてて、どれをプレゼンするかを決めて、撮影して、編集して、と
いろいろな場面で選択をせまられます。
中でも、いちばん大きな選択はどこかといいますと、
僕の場合は、どの企画をやるか、をしっかり心に決める時です。
たとえば2つの企画ができたとします。
ひとつは、
完成までのイメージがはっきり見えていてわりと面白くなるな、というもの。
過去の自分の経験の範囲内である程度何が起きても対応できる、と思えるものです。
もうひとつは、
完成までのイメージはかなりはっきりしていてかなり面白くなるぞ、と思ってはいるものの
ちょっと途中にいくつかのリスクがあるもの。そしてそれに対する対策も
自分の今の力量ではギリギリではないか、と思えるものです。
手短に言えば見えにくい部分があるってことでしょうか。
もちろん僕は後者がやりたいわけです。
でもやっぱり不安なわけですね。失敗したくないから。お腹痛くなっちゃったりする。
それでも、心を決めて見えにくい道へ進んだとします。
思ったとおり、道中にはいくつかの障害が出てきます。
あーやっぱ引き返そうかな、と思うんだけどもう遅い。
だから心の中で、頼むぞ、と誰に頼むでもなく願います。
撮影現場にいる時だったら、空を見たりして。
そして自分がやれることをちゃんとやります。
すると時々、
どう考えても、ツイてるとしか言えないようなかたちで
問題が解決したりするんですね。
そういう時、あ、誰かがごほーびをくれたぞ、と思うんです。
もちろん、
追い込まれて願ってみても、何も起きないときだってあります。
力及ばず、そのまま失敗しちゃう時もあります。
それでも、やっぱり
見えにくいけど楽しいことが待ってる気がする道へと
みんなとわいわい言いながら進みたいと思うのです。
空を見て、今度は頼むよ、とか思いながら。

明日は、
僕のクルマのボンネットの中で焼きあがったパンの話です。

じゃーまた。
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