リレーコラムについて

美術教師

三井明子

いまはコピーライターとして働いていますが、
新卒のときは中学校の先生でした。
埼玉県ののどかな土地での美術教諭です。
「わたしにつとまるかしら?」と思ってはじめましたが、
やっぱり一年間で(完全燃焼して?)、辞めてしまいました。
もうちょっと続けていたら、
今ごろバリバリの生活指導なんかをしてたりして…
と思うと人生はわからないものです。

たった一年間の教師生活でしたが、教え子たちとは
飲みに行ったり、ドライブやライブに一緒に行ったり、
披露宴に招待してもらったり、
自分の結婚パーティでは幹事をお願いしたりと、
今でも仲良くしています。
彼らとの出会いだけをとっても、宝物のような一年間でした。

教え子のなかには、
アイドルユニットのメンバーになった女性や、
吉本のお笑い芸人になった男性など、けっこうな有名人が何人かいます。
たった一年間しか教えていないのに、先生ってこういう職業なのでしょうか???
そのなかで一番の有名人といえば、サッカーの中澤佑二選手。
トレードマークはボンバーヘッド、ワールドカップ日本代表のDFです。
彼がJリーガーとして活躍していることを知ったときは、とてもびっくりしました。
そして、ある品物を取り出して、とても残念に思いました。

それは、中澤くんがわたしの誕生日にくれたプレゼント。
教員時代の誕生日に、職員室までとどけにきてくれたんです。
プレゼントをうれしく受けとったわたしは、
「記念にサインしてね」と言って、中澤くんにサインをもらいました。
今思えば、あのサインは、中澤佑二選手にとって
初めてのサインだったのかもしれません。

そんな貴重なサインでしたが、
彼からのプレゼントがコーヒーカップだったために、
そしてそのコーヒーカップをコーヒーカップとして普通に使用してしまったために、
「三井明子先生へ 中澤佑二」という文字は、
完全にかすれてしまっていたのです。

かすれてしまったサインはもとには戻りません。
サインは残念だし、
それが有名人のものだとわかった瞬間に後悔しはじめている自分が
とても情けなくて、悲しい気もちになりました。

でも、よくよく考えると、
わたしの人生は、後悔の積み重ねでできているようなもの。
そして、それらを受けとめることで、今まで生きてきたことを思い出し、
中澤くんのサインのことも、素直にあきらめることにしました。

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