秋葉原とコピーライター
みなさま、はじめまして。
ご指名をいただきました佐々木康晴と申します。
今は電通のインタラクティブ・コミュニケーション局というところで、
インタラクティブ系クリエーティブの企画制作を主にやってます。
この部署には、150人くらいいるんですけど、
コピーライターの名刺を持たされているのは、たぶん僕だけ…。
他には、アートディレクターとか、ストラテジストとか、
メディアなんとかさんとか、コミュニケーションほにゃららさんとか、
いろいろな役割の人がいるのですが、
とにかく、アイデアを考えて言葉を書く人が、足りないです。
誰か、一緒にやりませんか?
インタラクティブのコピーライターといっても、
とくに特殊な何かが必要なわけではありません。
クリエーティブと言葉と新しい物に興味があれば、どなたでも、いけます。
インターネットマニアとかじゃなくても大丈夫なんです。
でも実は、こんなところで告白しても何ですが、
僕は昔、むちゃくちゃパソコンマニアだったんですよね。
25年前、小学校5年生の頃から秋葉原に通って、
東京ラジオデパートで電子部品を買って、
パソコンショップの展示PCでゲームのプログラムを書かせてもらって、
完成したら持ち込んだカセットテープにセーブして。
中学、高校でもパソコンがお友達。
大学もコンピュータの学科に進んで、朝から晩まで、
いや昼から翌朝までプログラミング。
日本語を書く時間よりも、確実に、
プログラムを書いている時間のほうが長かった。
隣の席の奴にも、話しかけるよりメールするほうが楽だった。
そんな僕をヲタクの暗闇から救い出してくれたのが、
今思えば、インターネットだったんじゃないかと思うんです。
当時、まだネットはできたばっかりだったんですが、
たまたま、日本と世界をつないでいた元栓みたいなのが
研究室の自席のすぐ足もとにあって、
そこから世界のどこかにいる見ず知らずの人と
コミュニケーションできることに、ロマンを感じてしまったんです。
あとは、僕をこの会社に採用してしまった人と、
僕をクリエーティブに配属してしまった人、
ふたりの大きな過ち?のおかげで、僕は今ここにいます。
インタラクティブの仕事って、ほんとに、面白いですよ。
研究の道じゃなくて、コピーライターの道を選んでよかったなあ。
と、基本的には思うのですが、
女子大の助教授とかになっている大学の同期に会うと、
ちょっとだけ後悔もしたりする今日この頃です。
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