電通最後の日
こんばんは。昨日に引き続き電流ピリピリクリエイター西島知宏です。
本日は「電通最後の日」について書いてみたいと思います。
昨日も書きましたが、私、今年の3月31日をもって4年間勤めた電通を退社しました。退社した理由は書くほどの事でもないので割愛しますが、「最終出社日ってどんな感じなの?」ということについては、ちょいちょい質問されたりするので、その辺りについて書いてみようと思います。
確か2007年3月30日金曜日、最終出社日、電通はスーパーフレックスですので、いつものように10時頃出社しました。部には9時半に出社されているデスクの女性2人が着席されていました。
「西島くん、今日最後だね、おつかれ、はい、花束!」みたいなことは、、、ありませんでした。いや、もしかするとそんなこともあるのかも(なにせ会社辞めるの初めてなもんで)と思っていたのですが、トレンディドラマの見過ぎだったのかもしれません。
いや、何十年も勤め上げて、人望も、想い出も、持ちきれないくらいたっぷりぷりぷりな方が辞めるケースであれば、きっとあるのでしょう。いや、あるはず。あって欲しい。
その後、先輩、CDなどがぞくぞくと出社。「よー、西島、今日最後だな、お疲れ」という言葉は、、、ありませんでした。みんな即座に忙しそうに仕事を始めていました。
私はすでにデスク周りの片付けも終わり、大きな荷物も自宅に送ってしまっていたので、やることが1ミクロンもなく、ソリティアをするのもなんなので、同期全員に一斉送信する「今までありがとうメール」を作っていました。
お昼は一人で、週2は通っていた魚竹(2003年以前入社の電通マンの中では伝説的なお店)に行き、いつものように中落ち定食に納豆をつけ、心の中で「3年半、ありがとうございました」と呟いて店を後にしました。
同期に一斉「今までありがとう」メールを送った後は、再度暇になったのでインターネッツを楽しんでいたのですが、夕方頃、暇そうにしている私を見つけた局長がコピーの発注をしてこようとしました。私は3年半で培った危機管理シュミレーション能力を駆使し、何とか切り抜けることに成功しました。
そうこうしているうちに定時(18時半)です。お子さんのお迎えがあるデスクの女性が走って帰ろうとします。私がぼーっと後姿を眺めていると、さっと振り向いて「そうだ、今日最後だね、お疲れさまでした」と言ってくれました。出社から苦節8時間半、ついに退社について触れられた瞬間でした。
19時。20時にテレビ局の同期がセッティングしてくれていた「西島電通おつかれした合コン」の開催時間が迫っています。3ヶ月前、2007年の新年初出社の日に部の全員に辞めることは伝えていたものの、おそらく今日が2007年3月最後の日、つまり何を血迷ったか電通を4年で退社する西島の最終出社日であることは忘れているであろう諸先輩方に、最後の挨拶をしに行きました。「今までありがとうございました」。半笑いの先輩、「まじか俺が一番下になるじゃん」と苦悶の表情を浮かべる先輩、様々な反応でしたが、みなさんと握手をしてお別れしました。
そして、20時。「西島電通おつかれした合コン」はスタート。私は合コンの自己紹介で初めて、自分が「無職な人間」であることを知りました。
みなさまの貴重な時間を頂戴し、こんなに長々と何を言いたかったかと言うと、若い奴が会社を辞める最後の日、大して何も起こらないよ。ということを伝えたかったのです。
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