「帰農」
波多野順
こんにちは。波多野です。
今日もあいかわらず人生への苦手意識を捨て去ることができません。
そんなボクですが、過去に何度か、負のサイクルを断ち切るべく、
行動したことがあります。今日はそのひとつを記したいと思います。
あれは大学3年生の夏。
アルバイト、キャンパスライフ、恋愛、光熱費の支払い、
すべてがうまくいかないボクは、
都会での生活に疲れたふりをして、長野県の山奥に旅立ちました。
悪いのはボクじゃない、この高度に資本主義化された社会が間違ってるんだ!と、当時の恋人と数名の友人と両親に告げて。
そのときボクは、帰農しようと考えていました。
ボクの住まう場所は都会ではなく、自然の中だと自分に言い聞かせ、
すがるような気持ちで直江津行きのフェリーに乗り込みました。
長野では、レタス農家で住み込みのアルバイトの職にありつき、
帰農計画のために、一生懸命働きました。
しかし、働きはじめてから3週間目の朝、激しい腹痛と吐き気で起き上がれなくなっていました。高熱が出て食事も喉を通りません。しかも極度の下痢です。
そこからは、はっきりとした記憶はありません。
覚えているのは病院で、すぐに入院だと言われたこと。緊急のことで一般病室に空きがなく、癌病棟のベッドしかないと言われたこと。歩くことが出来ずに、車椅子でベッドまで運んでもらったこと。あとは、ひたすら眠っていたのだと思います。病名は食中毒。アルバイト先の農家ご自慢の自家製チーズが原因とのこと。9日間の入院で、アルバイト代も使い果たし、福岡に帰る旅費すらなくなってしまいました。
ああ、やっぱりボクには、都会だけじゃなくて、田舎も向いてないんだ。
と、福岡からデミオで迎えにきてくれた両親に連れられて、
失意のなか実家に帰りました。
ちなみに退院の日、仲良くしていただいた病室の仲間たち(癌患者のおじいさんたち)との別れを惜しんでいるとき、病室のリーダー格の地元製造系企業の社長さんが、「お前が病室に車椅子で連れてこられたとき、確実に末期の癌患者だと思った。正直、隣で死なれたらイヤだなと思ったよ。」と笑ってくれました。そして、「就職が決まってないんなら、ウチに来い!」と言ってくれました。
ボクは今、広告を生業として生きています。
いままで出会った人たちに対して、
恥ずかしくない仕事をしているだろうか。
ボクは30歳になりました。
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