リレーコラムについて

思い出コスモス(その二)「コスモスとカオス」

小野田隆雄

メキシコうまれのコスモスの花が、
日本に渡ってきたのは、明治20年前後といわれている。
ところで、歴史の年表をながめてみると、
明治政府は1888年(明治21年)に、メキシコと
通商条約を結んでいる。なんとなく、
そんな関係から、コスモスの花が
日本にやってきたのかなと思ってみたが、
ところが、どうやら、そういうことでもないらしい。

コスモスのふるさとはメキシコの高原地帯であるが、
この花に、「コスモス」と名づけたのは
スペイン人であるそうだ。18世紀末のことだという。
その当時、メキシコはスペインの植民地だった。
次のようなことが眼に浮かぶ。
メキシコにいた征服者の中の、花好きの誰かが、
たまたま出かけた高原で、美しい花をみて
それを本国に持ち帰り、栽培に成功した。そして
その花に、コスモスと名づけた。
しかし、なぜ「コスモス」(秩序、宇宙)なのか。
メキシコを侵略し、財宝を奪い取り、文化を破壊し、
この国を、カオス(混沌、混乱)のなかにたたきこんでお
きながら、その国の花に、コスモスと名づけるとは。
すごい神経だ、と日本人である私は思う。

スペイン人は、この形のととのった8枚の花びらの花に
美しい「秩序」をみたのだろうか。
それとも、はるか新大陸まで広がった
スペインの偉大なる領地に「宇宙」を感じたのだろうか。
いずれにせよ、太陽神を信じ、
キリスト教を知らなかったメキシコ原住民に対して、
スペインの、当時のひとびとは
なにひとつとして、人間的人格など考えなかったのだ。
そう思うしかあるまい。
メキシコのコスモスもカオスも、関係ないことなのだ。

歴史のことは、さておいて、無性に知りたいことは、
それはこの花が、ただただ、メキシコの高原の
野生の花として咲いていた頃に、
当時のメキシコのひとびとは、この花を、
なんという名前で呼んでいたのか、ということである。
調べれば、判明するかもしれない。
けれど、自分でメキシコに行ってみたい。
現代でも、高原に咲いているだろうか。
そして、ひとびとは、なんとこの花を呼んでいるのか。
もしも、「コスモス」だったら、
ちょっと、哀しいけれど。

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