リレーコラムについて

思い出コスモス(その四) 「春なのにコスモスみたい」

小野田隆雄

このコピーは1974年春の資生堂口紅プロモーションのコピーである。
制作されたのは1973年の秋の終り。
当時の制作日程は、ずいぶんゆっくりしていたのである。
商品はパステルカラーの口紅だった。
パステルは、洋画に使用する乾性絵具のこと。
パステルカラーというのは、パステル風の色のことで
色調が柔らかで、明るく澄んだ感じの中間色を指す。
すでに当時、「パステルカラー」という言葉は
世に広く知られた言葉だった。
したがって、この言葉を使用するのは、かなりくやしい。
一方で口紅のコピーには、具体的な色彩のイメージが求められる。
例えば、「ぶどう色」とか、「ギンザレッド」とか。
パステルカラーを使用せず、具体的な色彩イメージを持つ言葉を
考え出すことが、求められていた。

キャッチフレーズは、常識的には十文字前後である。
だからときには、10分間も考えれば浮んでくることもある。
大切なのは、全身全霊を打ち込んで考える、その数十分を
いかにして確保するかにある。その時間帯は、ひとにより異なる。
私の場合は、深夜の1時から4時。場所は自宅の自分の机。
この時間帯に思い浮ばないと、だいたいうまくいかないのである。
あのコピーのとき、夜が明けてきても、収穫がなかった。
私は家を出て、早朝のうす暗い住宅街を、ひとり歩き始めた。
横浜の郊外の住宅街は、季節の終りの霧がかかり、
風景はぼんやりとかすみがちだった。小さな公園の花壇に、
淡いピンクのコスモスが、ひっそりと咲いていた。
その花は、薄明の光のなかで、かなしいほど澄みきった色だった。
そのとき、「春咲きコスモス」という言葉が浮んできた。
一瞬、うれしかったが、なんだかもの足りなかった。

もの足りなかったのは、この言葉にイメージはあるが、
フレーズになっていないので、説明的な名詞形になっていること。
そのため、ひとの心にゆさぶりをかけるリズム感がない。
換言すれば、コトバにアイキョウがない。サービスがない。
けれど、頭脳の働きはすでに「春咲きコスモス」で停止してしまった。
結局、その日の午後、私はそのコピーを制作スタッフに見せた。
みんなが一瞬、シンとした。「これ一本?」という顔、顔、顔。
しばらくしてデザイナーがつぶやいた。
「『春咲き』って、狂い咲きみたいだな。
 なぜ、春なのにコスモスが咲くの? そう言いたくなるよなあ」
それを受けるように、スタイリストが言った。
「でも、春の光のなかでコスモス、なんて素敵かも知れない。
 だってほんとうのコスモスの話じゃないんだから。
 コスモスみたいにきれいって感じが、言いたいんでしょう?」
ふたりの言葉を聞いていて、私はスタッフってうれしいと思った。
私は、その場で「春咲きコスモス」を改良した。
春なのにコスモスみたい。
20w×30ℓの原稿用紙に、その言葉を大きく書いた。
みんなが、パチパチと拍手してくれた。
昔々のアナログ物語である。

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