ミーコのこと
尾崎敬久
「ミーコが死んだよ」
僕は、名古屋駅の高島屋にいた。
外国の免税店と同じ匂いのする、1階の化粧品売場。
11階の書店に向かうエレベータを待っていたときに、
僕のケータイが鳴った。
画面には父の名前が記されていた。
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ミーコは野良猫だった。
行儀がよかったから、どこかの飼い猫だったのかも知れない。
僕が中学生のとき、既に大人だったミーコは我が家に居着いた。
隣の家がネコを飼っていて、
それにつられて集まってくる野良猫にも優しくするものだから、
その家はけっこうなネコ屋敷になっていた。
ミーコもそのうちの一匹で、
なのになぜか、隣の家より我が家にやってくることが多かった。
当時の我が家は、野良猫に冷たかった。
僕も例外ではなく、庭でくつろぐ野良猫に向かって、よく水をかけた。
向こうが昼寝をしているとき、ソーッと音をたてずに窓を開け、
コップに入れた水をネコめがけて投げ飛ばす。
いきなりの衝撃に、ネコは、1メートルは飛び跳ねた。
覚えてはいないが、ミーコにも同じことをしたと思う。
なのにミーコは、我が家の庭に居座り続けた。
ある日、見かねた母が、ミーコを自転車のカゴに乗せ、
遠く離れた場所に捨てに行った。
ちょっとした罪悪感もあったけれど、僕たち家族はスッキリした。
数日後。
ミーコは普通に姿を現した。
県道を越え、踏切を越え、危険を犯しながら帰ってきた。
「これはもう、飼わないわけにはいかんよねえ」
母は、ミーコのガッツに心を動かした。
父も、兄も、僕も、ガッツあるミーコを歓迎した。
飼いだしたら、とたんに愛おしい存在になった。
ミーコと名付けたのは母だ。
ネコのことを可愛いと思えた、最初のネコだった。
ざらついた舌。夜になるとまん丸になる目。冬の日のコタツで丸くなる背中。
無条件で可愛かった。
しかし、ネコは、例外なく、人間よりも早く年老いてゆく。
ミーコは、今まで登り降りしていた塀に、登りはできても降りられなくなった。
頻繁に病気もした。そのたびに母は獣医につれていき、
ミーコは首にパラボラアンテナみたいなものをつけて帰ってきた。
もう充分に生きた。
たぶん、そう思う瞬間があったんじゃないかと思う。
ミーコは、歩かなくなった。食事もしなくなった。
獣医につれていっても、寿命を克服することはできなかった。
母と父が見守るなか、ミーコは息を引き取った。
母は泣いた。
母が泣くところを、僕はあまり見たことがない。
僕も泣いた。
ミーコが死んだこともそうだけれど、
母が泣いていることに、悲しくなったんだと思う。
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実家には、ミーコの遺影がある。
僕は、実家に帰るたび、お供えの水を取り替える。
思い出した。ミーコはお湯が好きだった。
猫舌だから、熱いのはダメだったけれど、
風呂場に行っては、洗面器に汲まれたお湯をペロペロ舐めていた。
今度のお正月、実家に帰ったときは、
水ではなくお湯をあげよう。
ミーコが好きだった、ぬるいお湯を。
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