田中 -最終話-
2007年11月19日、
田中の遺体が発見されたのは、
自宅のガレージの中だった。
私が社会人になりずいぶん経った頃、
父は久々に車を買い換えた。
追いかけるように、田中も車を買った。
とにかく子どものように、
すぐ他人と同じものをほしがる男だった。
私は、めっきり会社にいる時間が長くなり、
田中に会うこともなくなっていた。
そんなある日、田中が父に奇妙な相談を
持ちかけてきたという話を聞いた。
買ったばかりの車が、ハンドルを
どんなにまっすぐにしても斜めに走るというのだ。
酒屋の父には、なす術もなく、
放っておいたら更なる相談が舞い込んだ。
誰かがうちの車からガソリンを抜いているので、
車の近くに警察犬をつないでおきたいのだが、
警察犬を譲ってくれる人を知らないか?というものだ。
まったく見当がつかなかった父は、
警察犬を買えるほどのお金を出すぐらいなら、
シャッターつきのガレージをつくったらどうか。
と、アドバイスした。
こうして完成したガレージで、
田中は、死後一週間が経って発見された。
きっかけは、何日も灯りが消えたままの田中宅を、
隣の奥さんが不審に思い、町内会長を介して
うちの父に相談してきたことだった。
なぜ父だったのだろうとも思ったが、
きっと父しかいなかったのだろう。
父はとなり町にある田中の実家に知らせ、
すぐに妹さんが田中宅に駆けつけた。
家の中にはいなかったので、
車でどこかに出かけたのだろうか?と
なんの覚悟もなくガレージを覗いてみたら
田中が倒れていたという。
うちの両親が、田中の死を私に知らせたのは、
ずいぶん後になってのことだった。
そもそも、妹さんが取り仕切ってのお葬式が
いつの間にか済んでいたことを、うちの両親も、
後になって風のうわさで聞いたそうだ。
おどろきはしたが、感情を揺さぶられるようなことは、
正直言って、まったくなかった。
しかし、浅いつきあいではあるが、
こんなに長くわが家に関わってきた人も
他にいないのではないかと思うと、
落ち着かないような心持ちがしたのは確かだ。
だから私は、田中が生きていた証を、
ここに記してみようと思ったのかもしれない。
おわり
● ● ●
結果、当初の主題だった「私の生い立ち」に
ほとんど触れなかったばかりか、
主人公の田中はともかく、烏骨鶏の飼育についての話が
必要以上のウエイトを占めてしまいました。
でも、きっとその行き届かない感じが、
突然、容赦なくまわってくる
このコラムのすばらしいところだと思います(言い訳)
だけど、きっと少しは私のこと、
わかっていただけたのではないでしょうか。
いやぁ、予備でとっておいた「青木」(誰だよ)を使わずに
「田中」で乗りきれてほんとによかった。
田中さん、ありがとう。
あ、はじめて「さん」付けで呼んだかも。
はじめて「ありがとう」って言ったかも。
一週間おつきあいいただいた皆さま、
ありがとうございました。
つぎは、日本人離れした顔を持ちながら、
ドメスティックな企画で、ひと際才能を発揮する男、
電通九州の星!左俊幸くんが、
そこそこおもしろいこと書いてくれると思います。