リレーコラムについて

これから広告とタグライン

新沢崇幸

『タグライン』が決まると、web2.0(やっぱり古い)で生き残る。
という話です。

アメリカは、日本よりももはやTVCMを信じていないように感じます。
僕がここChiatに来て約1年、Chiat全体で作ったCMは、おそらく十数本です。
しかもその半分以上が、あの、スーパーボウル用CM。残りのほとんどが
ブランドのローンチ用のCMです。
つまり、所謂ふつうのCMは、ほぼ作っていない。
じゃあ、何をしてるのかというと、オールドメィア(4媒体と呼ばれるもの)以外の
仕事がものすごく多いのです。
そして、それを可能にするのも、やっぱり『タグライン』です。
要は、『タグライン』に落ちてりゃ、なんでもOKという状況で
打ち合わせを進めていけるからです。

太いコトバで『タグライン』を握ってしまい、
そこに落ちるアイデアジャンプの距離を競う、というのが
欧米広告であり、いわゆるカンヌスタイルであったわけですが、
そのやり口がどんどん広がっている気がします。
アウトドア、サイバー、イベント、出版、ゲームなど
広告の領域はもはや広がりつづけていますが、
そのどれもが「タグラインに落ちてますから」という一言で
クライアントにプレゼンできるとしたら、
ものすごく便利です。実際に彼らはそうやって、いろんなアイデアを企画しています。
それこそ、日本では鼻で笑われそうな、一見ムチャと思えるアイデアも
タグラインに落ちてさえいれば、
真剣に検討し、制作するという土壌を感じます。

『タグライン』はただのコピーじゃない、
クライアントや消費者との契約の言葉なんだなあ、と
こちらで仕事をすると、あらためて感じます。

それだからこそ、彼らはものすごく理詰めでコピーを考えるんですね。
『タグライン』も『マニフェスト』も
ブランドを「規定する」という作業です。
それと較べると、日本で僕らが書いてきたコピーは「表現」に近いのだ、と
初めて気づかされました。
もちろん英語と日本語の言語的な構造の問題もあるし、
日本人はお互い通じ合ってる部分が多いから、全てを説明・規定しなくても
表現で話が通じるという素晴らしい文化があります。
でも英語のコピーは、理屈が完全に通ってないとダメなんですね。
だからこそ、
『タグライン』の持つ力はとても強いです。
明快で、印象的です。
日本でも、そんな言葉が書けるといいな、と感じます。

コピーライターの果たす役割は、今、とても大きくなっているんじゃないでしょうか。

リレーコラム、次の走者は、江口くんです。
会社の後輩なんですが、実は大学の同学年なんですね。
彼は院卒なんです。インテリな文章が期待できそうです。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
もうすぐ日本に戻りますので、またよろしくお願いします。
新沢崇幸

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