アムステルダムから、幕末の日本を想う
志伯健太郎
日本にいると、日常にかまけているうちに、だらだらとめりはりなく歳をとってしまいそうな気がした。そしてそうしているうちに何かが失われてしまいそうに思えた。僕は、言うなれば、本当にありありとした、手応えのある生の時間を自分の中に欲しかったし、それは日本にいては果たしえないことであるように感じたのだ。——-「遠い太鼓」村上春樹著より抜粋
僕はいま、アムステルダムの72andSunnyというクリエーティブ・エージェンシーに居候させてもらっています。(www.72andsunny.com)上の抜粋は、村上春樹氏が30代後半に、イタリアのローマを拠点に、約3年間滞在しながら書いたエッセイの序文から抜粋しています。この期間に氏は「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」という二大長編ベストセラーを書き上げた。
「なんだかまるで深い井戸の底に机を置いて小説を書いているような気分だった。だからこの二つの小説には宿命的に異国の影が染み付いているように僕には感じられる。」——-同著抜粋
僕には、もちろん氏ほどの才能もないし、そもそも広告の企画という業務は、小説家と比べると、チームワークに依拠する部分も多い。ただ、そのメンタリティには勝手に共感してしまうし、人生のある時期を海外で過ごす、それもクリエーションを伴って過ごすある種の忍耐(自ら望んだものではあるけれど)はかなり理解できるものです。
日本を離れて半年弱が過ぎました。
世界同時不況の中、僕は欧米の企画をしながら、遥か離れた日本を想ってる。
もちろん、ネットもメールもスカイプだってある時代。日本の作業もやっている。
仕事も忙しい。孤独とは無縁の毎日。
ただ、友達や会社から時々送られてくるメールからは、厳しい現実が垣間見える。
その厳しさは、欧米の会社が直面しているそれとは様相が違う感じがする。
何かを守ろうとするがために、壁に直面している類の苦しみが伺える。
僕は、なぜか、幕末を思い出す。
300年続いた江戸が終わる間際の幕末を。
守るものと倒すもの。開城と新時代。
欧米のクリエーターに、「カンヌは終わった」と言う人が多い。
メディアでカテゴリーを分け、“広告”の代表者たちが一等賞を決めるそのシステムを。
クライアントも消費者も不在のなか、毎晩、お祭り騒ぎをする様子を。
「I Cannes! 」←(I can’t! のダジャレ)と揶揄する。
僕にはその是非はわからない。
毎日、あまりに多くの新しい出会いがあり、新しい情報が体内を通過しているから。
正直、必死すぎるから。
とはいえ。
高校生くらいの頃から想ってることだけど、
大体のことは、10年で変わる気がする。
いま僕は、入社10年目。
まず、自分から変われれば、と想う。
想う。想う。想う。
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