リレーコラムについて

ゲッハーコラムその4

川口修

おはようございます。

なんか、関西エリアは台風がすごかったです。
おかげで髪の毛が、ぜんぶ飛んでいきました!
ワッハッハー!

というわけで、台風とデキレースな競合プレゼンには
くれぐれもご注意ください。

で。
今日は、ボクがコピーライターになるまでのお話を、
書かせていただこうと思います。

まず、最初にコピーライターになろうと思ったのは、
高校3年生の頃。キッカケはよく覚えてないんですけど、
大阪の工業高校(電気科)に通っていたボクは、
担任の先生に「コピーライターって、うちの高校から
なれるんですか?」って聞いたんですね。

そしたら先生が「お前、ここ工業高校やがな
それやったら大学行ってから目指したほうがええ」という
先生のテキトーなアドバイスもあって、とりあえず大阪の
とある大学に入りました。

その頃ボクは宝島の「VOW」っていう本が大好きで、
家で読んではゲラゲラ笑っていました。まちの変な看板や
お店なんかの写真が投稿されてるんですが、この本と
出会って「インパクトのあるコトバ」がとても好きに
なったんです。で、そのあと何かの本で「としまえん」の
歴史的名作、史上最低の遊園地の原稿を見て、広告の
仕事がしたい!と本気で考え始めました。

そして大学3回生の頃、宣伝会議(当時はクボセン)のコピー
ライター養成講座へ。1年先のクラスには、今年同じく新人賞を
受賞された電通関西の古川雅之さんがいて、卒業制作で最優秀賞を
とられていました。

その刺激もあって大学4回生の頃、宣伝会議賞にチャレンジしたんですね。
そしたら、トクホンシップの課題で銅賞をいただけたんです。そのときの
受賞作が「氷、貼れますか」。これは、うれしい!就職活動に有利じゃないか!
コピーライターに向いてるぞオレは!ハッハッハッ!なんて勘違いしたまま、
東京の制作会社に入れてもらったら、全く通用しませんでした。

新卒の何もわかってないヤツが、入社後すぐにコピーをほめてもらえるわけがない。
そこからは、書いてはダメ出しの連続。たまに選んでもらっても、プレゼンのカンプ
止まりで、自分で書きましたって人に言える原稿は全然つくれませんでした。
それから数ヶ月。初めて自分の書いたコピーが印刷物になったときには、うれしくって
大阪の実家に送りました。そしたら、親がとても喜んでくれて。

「あんたコピーライターやいうからな、
東京の会社でコピーばっかり、とらされてるのかと思ったわ」と、おかん。

ボクは長男だし、将来きっと、おとんの鉄工所を継ぐのだろうと、
なんとなく入った工業高校。それから大学へ行って、コピーライターに
なった今も、おとんの仕事を継がなかった申し訳なさが心に残っています。

だから今回。自分の仕事をちゃんと見てもらいたくて、
30日(金)の授賞式に親を招待することにしました。

新人賞は、一生に一回。

照れくさいけど、いっしょに
授賞式で乾杯したいと思っています。

といった感じで、今日はマジメに書いちゃいました。

また明日!

NO
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