あのときを、語ろう。〜同人誌とトン汁、モラトリアム情景〜
大学時代、僕は「文芸研究会」というサークルに入っていました。
大学に入学して一ヶ月が経ったばかりのこと。
テニスサークルとかスキーサークルとか、そういう男女がお互いを下の名前で
呼び合い、三角関係とか四角関係になりながら、年中バーベキューでソーセージを
焼いていそうな華やかな集まりには馴染めないであろう、と入学前から自覚していた
僕は、ある日大学の敷地内にそびえる学生会館という建物をうろついていました。
そこは、かつての学生運動の名残がありありと感じられる、薄汚れた不気味な建造物。
ビラが通路いっぱいに貼られ、あちこち水漏れがある打ちっぱなしのコンクリートの
壁を進むと、牢獄のように多種多様なサークルの部室が並んでいます。
まっとうな女子学生は、近寄るのもはばかられる場所でした。
そこで「文芸研究会」というこれまた古びた木の看板がかかる部室を発見して
しまったのです。両親が文学誌の同人で知り合って結婚し生まれた僕としては、
ちょっと文学サークルという響きに憧れていました。
しばし、その前で中を伺っていると扉が開き、文学サークルには似つかわしくない
やたら日焼けした人が出てきました。
「あ、新入生?」
と、その人は僕にたずねてきました。うなずくと、
「興味あるの?なら中へ入りなよ」
日焼けした人は、部長さんでした。初めて部室に入ると、その薄暗い部屋の中に
机と化石のようなワープロが一台、中央にはどこかで拾ってきたようなボロボロの
ソファとテーブルが置かれ、古いオーディオからはジャズが流れ、
ギターが立てかけてあるはがれかけた壁には、有名な詩や小説の一節が
一面に刻まれていました。
結局、僕はその薄暗い部室で4年間を過ごすことになったのです。
文芸研究会にいる人はおかしな人ばかりでした。女性はほぼゼロ。
みな男で、自分の家のようにずっと部室に住んでいる人や、
怪しげな商売をしている人や、いつも金を部員から借りようとする人や、
お寺の息子のナンパ師や、間違いなく学生じゃないのに学生のふりをして
参加しているなど、個性溢れる先輩たちが、文学そっちのけでギャンブルや
女性について熱く語りあっていました。
ある先輩が、ナースの彼女から入手した睡眠薬が(この時点で犯罪ですが)、
ホントに効くかを試すために、部室で歓談していた部長にこっそり飲ませる、
という事件が起きたりもしました。部長は目覚めたあと激怒して退部してしまい、
おかしな時期に代替わりが起こったりしました。もう、むちゃくちゃです。
文芸研究会の活動は、定期的に同人誌を発行すること。
その同人誌を発行するために、各員が詩やら小説を持ち寄るわけです。
その発行前に、作品を批評しあう「合評会」という会議がこのサークルのヤマ場で、
一同が会し、下級生から順に先輩に作品を批評されていくのです。
そこで、
「君はもっと太宰を読んだほうがいいな」とか、
「君はボキャブラリーが足りない」とか、
「誰それの亜流みたいな文章だね」とか言われまくるわけです。
今にして思えば、ここで誰かに自分の文章を批判される、
というコピーライターとしての耐性を育てたような気がします。
何を血迷ったか一度だけ、北海道でスキー合宿をするという、
大学生らしい行動に出たことがありました。昼はスキー、夜はこの合評会を行うのです。
雪に閉ざされた冬のスキー場で部屋にこもり、何かを声高に批評しあう男達の姿を見て、
おかしな思想を持つ集団ではないか、と宿の人は危惧を覚えたに違いありません。
後にも先にも、僕がスキーをやったのはこの一回だけでした。
就職が決まり卒業を控える頃から、来るべき少子化時代に備え、大学は学内改革を
急ピッチで推し進めはじめました。そこには、大学施設のスクラップ&ビルドも
含まれていました。シンボルタワーを建設し、
(ちなみに『ボアソナードタワー』という名前を付けたのは僕です)
大学の周囲の用地を買収し、校舎の建て替えが始まりました。
結局それらの建物が鉄骨をむき出しにし、建設音が鳴り響く中で僕は卒業を
むかえ、あの居心地のよい部室に別れを告げました。
時は流れ昨年、当時いちばん仲のよかった先輩と東京で会っていた僕は、
ちょうど学園祭の時期だったことを思い出し、大学を訪ねることにしました。
「ああっ!」
と思わず僕と先輩は校門を過ぎたとき、声を上げました。
なんと学生会館がなくなっています。しかも、ピカピカで綺麗な別の建物が
そこにはそびえていました。
学園祭でごった返す人の群れの中で立ち尽くす僕と先輩。
気を取り直して、せめて文芸研究会の部室を探して帰ろうと思いました。
でも見つけることはできませんでした。文芸研究会は、無くなっていました。
僕らが卒業して何代かのうちに、学内のサークル連盟の改編で
消滅したとのことでした。似たような名前のサークルは存在していましたが、
あの古い木の看板を掲げた文芸研究会はもうどこにもないのです。
せっかくなので、その似たようなサークルの部室を、
ちらっと見学させてもらいました。ガラス張りの部室棟の中にあり、
オートロックの清潔感あふれる部室でした。
・・・これは、もう僕らの知っている場所じゃない。
それなりにショックを受けた僕と先輩は、無言で大学を後にしようとしました。
すると、テニスサークルの出店から、かわいい女の子が出てきて、
「トン汁食べませんか?トントントン汁、トントントン♪」
と楽しそうに歌い踊りながら、僕らに売りにきました。
動揺した二人は、逃げるように校門をくぐりました。
帰る道すがら、先輩がポツリとつぶやきました。
「勝浦君」
「はい」
「もし、もう一度大学生になるなら、暗い部室に閉じこもってないで、
テニスサークルにでも入って、あんな風に可愛い子とトン汁を売るべきじゃないかな」
「そうですね、でも・・・」
「でも?」
「僕達には似合わないと思います」
「そうだな・・・トントントンか・・・」
おかしなリズムを口ずさみながら歩く、時代遅れの男二人の影は、
市谷のお濠端をどこまでも伸びていったのでした。
・・・明日は、なぜ僕の顔の骨が折れているのか、という話をします。
何かご意見・ご要望・モラトリアム自慢等がありましたら、
masahiko.katsuura@dkj.dentsu.co.jp まで。
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