リレーコラムについて

ヘル・ダンジョーのこと。

小笠原健

ヘル・ダンジョーのこと。

朝6時半に家を出て、バスケ部の朝練に通っていたころ、
駐輪場に向かう途中、いつも出会うオッサンがいた。

年齢は50過ぎ。ランニングに、短パン。
タオルを鉢巻状に巻いて、黒縁メガネに、パイプくわえて、
英訳版の武士道を読みながら、
火箸を持って校舎を徘徊しているオッサン。

バスケ部の先輩は、オッサンを「ダンジョー」と呼んでいた。
「あだ名がついてるなんて、変なオッサン」くらいにしか思ってなかった。

入学して半年後。
いつもの英語科の先生が急病になって、
自習時間という無法地帯でわいわいやってたら、
開かないはずのドアが突然ガラッと。

現れたのは、あの変なオッサン、ダンジョー。

ダンジョーは、壇上先生だった。英語の先生だった。
「壇上」と書いて、「だんじょう」と読む珍しい苗字の。

「授業やるぞ」
とか言いつつ教科書をなかなか開かせない。
マリリン・モンロー、ブリジット・バルドーが、いかに良い名前かを語りだす。
MとM、BとBの下に線を引いて。
「人間、やっぱ憶えてもらわにゃあ」で締めた。

ネーミング論を聞いたのは、思えばこれが人生初かも。

―――――――――――――――――――――――――

5年生になって、英語の担当があのダンジョーになった。
(通っていた中高一貫校は、高1・2・3年を4、5、6年と呼んでいた)
授業が始まったかと思うと、マリリン・モンローがどうとか言い出してる。
デジャブじゃない。
あの話は持ちネタで、数分しゃべり倒すと疲れ、
ハンカチで口を拭い教卓の前の生徒に聞く。
「教科書どこまでいっとんじゃったっけ?」
これが3回の授業に1回は出てくる規定演技。

生徒が遅刻した時用の“いつもの”もある。
「マツバラ!ここが日本でよかったのう」
「アメリカじゃったらね、遅刻したヤツは、射殺よ?しゃ・しゃ・つ」
「もうマシンガンで蜂の巣。ダダダダダダダダ」
マシンガンパントマイム開始。
毎回のことなので無視して席につくと、
「聞いとるんか、マツバラ!」

ローテーションで“いつもの”が回ってくる。
しかも毎回、持ちネタ初披露のテンションなのだ。
永遠に繰り返される苦痛。
地獄だ。

そんなダンジョーのサインは、いつもこれだった。

“Hell” Danjo (地獄の壇上)

自称だった。

いわゆる、トンデモ先生。
授業をちゃんとしないことでも校内で有名だった。
ダンジョーが担当=塾行き確定、みたいなものだったから。

今の世の中だったら、もしかしたらクレームが来たかもしれない。
実際、当時もあっただろうけど、
なかったことにされたのは、それ以上に愛されていたから。
ダンジョーしか教えられないことが多分あったから。

「じぇんりょくでやらにゃあ!」
「じぇんぶやれ!」
「じぇんじぇんダメ!」
「やらにゃあ!」

ダンジョーは、いつも完全燃焼してた。

情熱しか取り得のない先生が、
いまの世の中にどのくらいいるのかな。

定年後も、毎朝ゴミ拾いに来ていたという噂だけが東京に聞こえてきた。

「人間、やっぱ憶えてもらわにゃあ」の業界に来てるけど、
あなたほど、強烈になれないです。
と、弱音を吐いたら、
「じぇんりょくでやらにゃあ!」が聞こえてきた。

地獄っすね。もしかして、そこに天国でもあるんすか。

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