里芋の収穫。
僕は今週、里芋の収穫をしている。
秋が深まるこの時期になると、通っているテニスクラブのコートの横にある
小さな自分の畑で、里芋を掘り出し仲間と一緒に食べる。
もう6年になるだろうか。
「この世のものとは思えない!」
掘り出したばかりの里芋の姿を、僕の友人は初めて見たらしく
とても驚いて叫んだ。
確かに、初めて見ると、ちょっとギョッとさせるようなインパクトがある。
茎につながった地下から、不揃いの茶色い球体の群れが塊となって
泥だらけで現れるのである。
どこか別の天体から来た正体不明の生物を見たような言葉を発した友人。
もちろん里芋を食べたことはあっても
こんな姿から、一個ずつにわかれて食卓にやって来ているとは、
50年近くも知らないで生きてきた、と言う。
それにしても、この世のものとは思えない、とは里芋に失礼だ。
縄文の時代から日本人は里芋を食べて生きてきた。
僕が今、畑にしている土地でも、ずっとずっと太古の昔から
里芋は毎年、毎年、生命のリレーをしてきたに違いない。
35年以上のコピーライター人生の後半で
野菜を自分で育て、食べてみて、少しずつ気がついてきた。
野菜も、その身体の中で、それこそ縄文よりはるかにさかのぼる時からの
永い時間にわたるこの世界を、記憶しているのではないだろうか。
里芋も心して食べるようになった。僕の最近の「収穫」だ。
次週は、今年もTCC賞を受賞された
オカキン、岡本欣也さんです。
どうぞ、よろしくお願いします。