コピーライタ-ということ
平山浩司
転局試験という制度を利用して、とりあえず肩書きだけコピーライターになったのが25才。ついたお師匠さんは細田佳嗣CD。電通一厳しいと恐れられ、また慕われた細田さんから教わったことは、ここでは書ききれないくらい大きい。とにかく2年間強は毎日バカ扱いだった。出来が悪かったのでしょうがないのだが。最初に、一年間はどんなにいいコピーを書いてきてもOKを出さないと通告され、いったい何のために?と思ったものだが、その親心は後年にならないとわからなかった。苦労を書き連ねるのはみっともないので、ここでは省くが、こんなことを言われたことがある。平山、コピーライターにとってキャッチフレーズを書くことは一番簡単なことかもしれないぞ、の一言。その頃、頭の中、心の中を占めていたのは、いいキャッチフレーズをものにしたいとだけだったから面食らった。で、一本立ちしてからは痛感した。なによりも書くキャッチフレーズが違うものになった。使用前と使用後くらいの違い。若手の、というか年下のコピーライターと仕事をしていると、その人が使用前の人なのか使用後の人なのか歴然とわかる。それは書くものでわかる。そして使用後の人は、極一握りしかいない。長くやってる人でも使用前の人は多々。キャリアを重ねれば自ずとそうなるというものでもないから残酷だ。(一つ前のコラムで「素養」という言葉を使ったが、これまた「才能」というよりは「素養」という感じがする)そういえば細田さんも、広いフロアの片隅に僕を呼んでフロアを見渡しながら、いいか、これだけコピーライターがいるけど信用できるのは二人しかいないんだぞ、と言われた。だから早くお前もそうなれ、と激励の声が続いたような気もしたのだが、あまりのことに、ぼんやりとした記憶しかない。
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