ミッシェルと。
東京に出てきて10年目だけど、
満員電車にはまだ慣れない。
でも、満員電車での処世術みたいなのは身につけつつある。
1文庫本を読む、2音楽を聴く、3意識を飛ばす。
身動きもできないときは、3の意識を飛ばす。
2の音楽ももちろん聴きつつ、それでもありえない状況の時は3も重ねて利用している。
ちなみに最近のお気に入りは、3の応用編、「自分を肉まんの具」だと思い込むことだ。
するとどうだろう・・・どうもしない。が、車内でおしくらまんじゅうみたいになっている状況も、
まあ仕方ねーな、と思えてくるから不思議だ。だって私たちは肉まんの具なんだもん。
たっぷりぎっちりつまった肉まんの具。そう思うと、さっきからお尻をやたら私の背中にくっつけてくるの見ず知らずのおじさんも、おなじ肉まんの具としての親近感が沸いてきたり、沸いてこなかったり・・・。
さて、今朝も満員電車ではあったものの、ひとりにひとつ吊革、もしくは掴む場所が
提供されている程度の緩い混み具合だったので、私は、2音楽を聴く、に興じていた。
そこで今朝はまた新たな発見をした。
これは比較的気持ちとスペースに余裕がないとできない技かもしれないが、
たまたま聴いていたのが THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの名曲「ドロップ」だった。そして私の前にはおばあちゃん3人組が座っていた。
ミッシェルのサウンドで揺れながら、何気なくおばあちゃん3人組をみていた。
ミッシェルと、3人組のおばあちゃん。ミッシェルと、通勤時間帯の鉛のような色の車内に、パープル、オレンジ、ブラックに髪を染めあげたおばあちゃん3人組。ミッシェルと、一回笑ったかと思いきや、すぐに眉間にしわを寄せて沈黙になるおばあちゃん3人組。そしてミッシェルと・・・。
すると私の脳が、勝手に彼女たちの映像にミッシェルの「ドロップ」をのっけて、編集しはじめた。
その瞬間、おばあちゃんたちの背中から降り注いでいた朝の光は、退廃的な橙光に変わり、彼女たちは、まるで旧ソ連の街の片隅でほそぼそと生活している三人姉妹。二の腕の内側には、それぞれタトゥが掘ってあって、お互い誰にも言えない傷を持っている。(それは主に恋愛と死にまつわることだ)大きな荷物の中には硬いパンが入っていて・・・とまるで朝の東海道線がそのまま世界の終わりに行ってしまうのでは(ミッシェルだけに)というくだりまでいって、新橋に着いた。私は降りた。
その三人姉妹は、終着駅、いやつぎの終点までそのまま乗って行った。彼女たちの行きつく先はどこだろう(多分、東京駅)。彼女たちはこのまま深い傷を抱えながら、でもそれについてはたとえ姉妹であっても、口外せず、自分の心の奥の方にしまって、これからも孤独の影を匂わせながらひっそりと生きて行くのだろう。・・・。
音楽は世界を変える。ながく使われているフレーズの理由は
そこに嘘がないからだと思う。
(変えた後の世界には全くのフィクションであっても)
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