食い意地
かっぱえびせんは絶対に、あの赤いポチポチに一番味があって、
だから小さい頃、その赤いポチポチを、赤いサインペンで
ポチポチポチポチポチポチポチポチポチポチっていっぱい増やして、
そうしてから食べると、エビの風味がぐんと深くなるような気がして、
すっごくおいしかったんです。これ本当なんです。
あのときの自分にとって、赤い水性サインペンは
たしかに「えびの味」でした。
なんだか冴えない幼少期を振り返ってしまいましたが、
それにしても人の脳の思い込みというのは
摩訶不思議だなーって思います。
ノンアルコールビールって、最近おいしいですけど、
味がビールに近くなってくると、脳が勝手に勘違いをして
一瞬、かるく酔ったような満足感を
おぼえそうになったり、ならなかったり。
もちろんまったくの錯覚で、アルコールは検出されないし、
なんの支障も無いわけですが。
僕らはつくづく、脳で食べたり飲んだりしてるんですね。
生命をつないでいくためというよりは、むしろ、
脳をよろこばすために食べたり飲んだりしているというか。
NHKの爆問のニッポンの教養で、
人工舌の研究をしている教授が言っていました。
生物の舌はもともと、毒(苦味)と栄養(甘み)を見分けるセンサーだったが、
人はやがて進化して、苦みや激辛なんかを逆に楽しんでしまう、
そんなちょっと歪んだ味覚を備えるようになった。
今じゃほとんど、舌は快感を得るためだけの道具ですよ、と。
今年もまたビミョーな検診結果が戻ってきたのですが、
二十代の深夜の焼き肉とか、三十代のワインかぶれとか、
そして、ますます食い意地が増すばかりの今日この頃とか、
そのすべての楽しき日々のバランスシートだと、観念することにします。
でも、心を入れ替えて絶食道場行ったりでもしたら、
またそれはそれで楽しいんだろうな。
それで粗食なんてものに目覚めたりでもしたら、
また新たな食の喜びを知ることができるかも。
禁欲こそ、新たな快感かもしれない。
なんて結局は、食べることはすべて快楽につなげて考えてしまいます。
つくづく健康に感謝なのです。妻よ、どうもありがとう。
二年ほど前に、インドのヨガ道場に寝泊まりをして
ほんの一週間だけ、ベジタリアン生活を送りました。
そこで、とても当たり前すぎることを知りました。
腹を空かせることが、食事をおいしく味わう最良の方法である。
つまり、食べすぎないことが、次の食事をおいしくする唯一の方法であると。
そろそろ、来年の正月明けあたりから、
もしできなければ再来年か、その翌年あたりから、
実行しようかなと思っています。