万年筆
今年は2年ぶりに年賀状のやりとりをした、
昨年は喪中で年賀状を控えたためだが、
やっぱり年賀状が届く正月はいいものだ。
葉書1枚でいろんな人の顔を思い浮かべることができる。
私は万年筆で年賀状を書く。
万年筆は筆跡に味わいがあるし、筆圧をかける必要がないので、疲れない。
年賀状を書いていると、ふと自分の字が死んだ父親の字に似てきたなと思う。
顔つきのように、字も遺伝するんだろうか。
単に齢をとって、字が崩れてきただけかもしれないが、
万年筆のせいかもしれない。
父もよく万年筆を使っていた。
じつは万年筆に嵌っている。
持っているもののなかでいちばん古参のものは、1977年に買ったペリカン。
会社に入る前に、アメ横の万年筆店で買った。
社会人になるんだから、ちゃんとした万年筆を持とうと思ったのだ。
その当時はまだ万年筆を持つことが当たり前のことだった。
会社に入ってコピーライターになり、
毎日使う筆記具はもっぱら鉛筆になった。
万年筆は抽斗のなかで眠ったままになっていたが、
仕事で使うのがパソコンになってきた頃から再び万年筆を使うようになった。
20年くらい前にモンブランのサービスセンターで知り合った
森山さんというペン先調整の名人が、
大井町・仙台坂に「フルハルター」という自分のお店を出して、
そこに通うようになってから次第に本数が増えた。
森山さんに調整してもらった万年筆はペン先が極太で、
インクがヌラヌラと出てくるのである。
ペン先にもいろんなタイプがあり、最近はインクの色もバリエーションが豊富で、
必然的に本数が増えてくる。
いまでは10本を数えるようになった。
池波正太郎の『男の作法』という本を読むと、こんなくだりがある。
「万年筆だけは、いくら高級なものを持っていてもいい。」
「そりゃあ万年筆というのは、男が外へ出て持っている場合は、
それは男の武器だからねえ。刀のようなものだからねえ。
ことにビジネスマンだったとしたらね。
だからそれに金をはり込むということは一番立派なことだよね。
貧乏侍でいても腰の大小はできるだけいいものを差しているということと同じですよ。」
「何も作家だから三十本も五十本も持っているというわけじゃなくて、
そういうようにしていかないとやっぱりねえ、
ギシギシ音がするようなペンだったら、肩の凝りが違うんですよ。
健康にも影響してくるからね。」
いや、この本は男のバイブルです。
私も池波先生に倣って、万年筆を増やしつづけているというわけである。
手元にひとつだけ父親の書いた万年筆の字がある。
長男が生まれて少し経ったころ、
上京した父親が帰りぎわに手渡したポチ袋に書いてある字だ。
そこにはブルーブラックのインクで「寸志」と書いてある。