リレーコラムについて

先生の言葉

後藤エミ

「大学の職を退いたら、誰も私のもとを訪ねてくれなくなりました。
 これまでは肩書きに人が集まっていたのでしょうね。
 いま、毎日がとても淋しいです。
 みなさん、よかったら私の家に遊びに来てください。」

ゼミのOB・OGが集まった会の最後、
先生は、そうおっしゃって
教え子である私たちに頭を下げられたのです。

とても厳しい先生でした。
ゼミのたびに学生を叱り飛ばし、
90分1コマの講義は
気づけば3時間を超えることも、しばしば。
終わる頃には、全員が憔悴しきるほどでした。

当然、ゼミ生の数は多くありません。
学生は、卒論を書くにあたって指導教授を選ぶのですが
その先生を希望する学生は0人という年度さえありました。
(学生課が、一人だけ つけさせましたが。)
ただ、その分、先生と学生の交流は
とても濃かったように感じます。

先生だけでなく、奥様もまた思いやりあふれる方でした。
お正月にはゼミ生みんなでご自宅に伺い、
奥様の手料理を、おなかいっぱい いただいたり。
卒業の際には、ひとりひとりに
ブローチなどをプレゼントしてくださったり。
先生ご夫妻とゼミ生との
家族ぐるみのおつきあい、という雰囲気です。

もちろん、私たちは先生の真摯な研究姿勢にも
尊敬の念を抱いていました。
「難しい言葉でかためた文章は、たいてい中身がない。」
「言葉を選ぶときは、慎重でありなさい。」
先生の教えは、コピーライターとなった今でも
私の中で宝物のように光っています。

「実直」「血の通った」「親身」。
そんな形容が似合う先生から発せられた
「肩書き」という言葉。

研究に心血を注ぎ、誠心誠意 学生と接してきてもなお
空虚さに見舞われるなんて。
たしかに、先生は不器用なところがあったかもしれません。
でも、まさか、先生に限って。

私は、ときどき思います。
私が仕事を失ったとき、
今日と同じように ほほえみかけてくれる人は
どれくらいいるのだろう、と。

先生。
先生が与えてくださったこの課題は、私には、ちょっと大きいです。
いつになったら答えが見つかるのか、見通しもつきません。
先生は、先生なりの論を、導き出されましたか。

NO
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