私は福島の生まれです(四)
私は福島の生まれです。
私の母もまた福島の生まれです。
母は会津若松市の北に位置する
北会津村(現会津若松市)に生まれました。
波瀾万丈、とまではいかないものの
多少の紆余曲折は経験した
質素で忍耐強い東北女性です。
母は女手一つで、3人の息子を育てあげる
という偉業をやってのけました。
本人曰く「わたしが育てたんじゃなて
あんたたちが勝手に育ったのよ」ということですが
その苦労は、育ててもらった私たちが
いちばん良く知っています。
そんな偉業の反動からでしょうか
息子たちが独立してからの母は
「一人が気楽なのよ」をアピールしながら
一人暮らしを貫いています。
弟家族からの同居の申し出も再三断って
いるありさまです。
でも、そのコトバは本音半分で
もう半分は息子たちに余計な気遣いを
させまいとする親ごころだろうと
私は読んでいます。
だからといって、それを母に確かめる
ようなことはしません。
基本、気づかないふりをしています。
母はそれで満足なのですから。
震災があったあの日も、母は一人自宅にいました。
福島県会津若松市の震度は5強。
床はきしみ、家具が揺れ、食器棚からは
皿や茶碗が飛びだしました。
母はこたつにしがみついて
揺れがおさまるまで必死に耐えました。
もう死ぬ、と思ったと言います。
震災当日、わりと早いうちに連絡がついて
私はホッとしていたのですが
その時の母の不安がどれほどのものだったか
想像すると今も心が痛みます。
震災後の母は、少しだけ元気をなくしました。
軽いPTSDのような状態だったのだと思います。
食欲が減り
震災の被害を連日告げる新聞やテレビを
まったく見ることができませんでした。
それでも、時おり市内にいる弟家族が
顔を見せにくると
気楽な一人暮らしも忘れ
いつも、たいそう喜んで、孫たちといっしょに
遊んでいたそうです・・・。
震災から一年。母は元気です。
安全でおいしい福島の米や野菜をよく食べて
福島の酒を飲みながら
気楽な一人暮らしを送っています。
弟家族が東京に引越してから
本当はすごく寂しいはずですが
そういうことは、おくびにも出しません。
「一人が気楽でいいのよ」
今日も母はうそぶきます。
春休みに帰省する孫たちとの再会を
待ちわびながら。
そのときに囲む夕飯の献立を考えながら。
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