誰かの話は、わたしの話でした。K氏のこと。
どうも、さくらです。
町田町子こと岩崎亜矢から「書け」と。
実家の妹からなので断れません。
で、この一週間、
コピーライターの話もいいけれど、
その概ねの相方たち。
アートディレクターや
フィルムディレクターの方々の話を
しようかな、と思います。
まずは、
実家の家長ですね。
作り手側の主のお話から。
K氏と最初に会ったのは、
郵便番号100番、
千代田区丸の内1の1の1だった。
まだ郵便番号が3桁でよかった頃だ。
黒のセルフレーム。
ウェリントンタイプのやや太い、
がっしりとした眼鏡がとても印象的だった。
その眼鏡が、K氏自身が手掛けていた広告、
白山眼鏡のモノだということは、
随分と後になってから知った。
ぼくは、まだ26歳だった。
過度に緊張し、
その上さらに、勘違いも甚だしい
権威に挑む若気の至り全開モード。
そんな、ほぼ臨戦態勢のぼくを見て、
氏も少しだけ構えているように見えた。
語尾に「ふふふ」と、何か含むような
粛とした笑みを添えながら、
ぼくの与太話を聞いてくれた。
今、思えば、
かなり冷や汗ものだったけれど、
それから14年以上もの間、
氏の横顔を盗み見ることができ、
かてて加えて一緒に仕事をすることもできた。
まったくなんたる僥倖だろうか。
K氏は、バトミントンが得意だ。
月に一度くらいだったと記憶しているが、
同好の士と近くの学校の体育館か何かを借りて
バトミントンの会を開いていた。
リアルタイムでいちばん最初に、
ぼくが見ることのできた氏の仕事は、
黄色いワンピースを着た
美しい中国人女性が、
バトミントンのラケットを凛と構える、
ある飲料のB0版のポスターだ。
深夜、誰もいないロビーに掲げられた、
そのポスターを飽きもせずに眺めた。
あまりにも遥か彼方先の、
辿り着けそうもない頂を見上げてるようで、
呆然とした。
そして、それとは全く別の感情で
少し涙が出た。
K氏とは、時折、
今でもお目にかかる機会がある。
あの黒いセルフレームのウェリントンも
何かを含んだ「ふふふ」という笑い声も、
あの頃のまま。
つい先日も京都の祇園でご一緒した。
朝の4時まで、お付き合いしていただいた。
少し温んできた頃とはいえ、
まだまだ粛とした空気がそこにはあった。
ぼくの気持ちは、
瞬く間に、きゅっとなった。