誰かの声は、わたしの声でした。N姐のこと。
きのうはごめんなさい。
一日中、ずっとさくらを見上げていて、
ここに書き込めなかったさくらです。
ウソです。
深夜の編集とその場での試写が
楽しく愉快に押し倒してしまいました。
きょうは、
ラジオCMのディレクターの方のお話です。
少し長くなります。
N姐は、ぼくのことを隊長と呼ぶ。
なぜ、そう呼ぶのかということを
ここでは詳しく書かないけれど、
昔、決して立派じゃない方の
隊長をしていたことを
誰かからお聞きになったらしく、
いつしかそう呼ばれるようになった。
N姐は、酒豪だ。
そして、かなりの愛煙家でもある。
ぼくも、両方、本当にほんの少し嗜む。
自ずとお会いする場所が限られてくる。
大体は、BARの隅っこの暗がりで、
ぼくかぼくの連れのどちらかが酒精によって
瓦解しているときが多かったかもしれない。
そのときは、隊長というより、
敗残の二等兵のような状態で
お目に掛かることになる。
なんとなく気にかけて
いただくようになったのは、
今から7、8年ほど前。
姐さんがTOKYO FMと立ち上げた
“tokyo copywriters’ street”という番組に
お声を掛けてもらったのが端緒だったと思う。
そのときはじめて5分以上の
長尺のラジオ原稿を書いた。
お題は、ただ一点、
「マフラー」というテーマで
あとは、好き勝手してくれ、と。
書くにあたって
ぼくが唯一、そして漠然と決めたのは
やさぐれた大人の女子で書く
といこうこと。
難しかった。困った。裸足で逃げようかと思った。
半泣きで、なんとか仕上げた。
タイトルは「匂い」とした。
そんないびつでぎこちないな原稿を
読んでくれたのが
女優の深浦加奈子さんだった。
あの第三エロチカの看板女優が、
東京パノラママンボボーイズのリリィが、
ぼくの原稿を読むと思っただけで
動悸が激しくなった。
七転八倒しながら書いたぼくの拙い原稿が、
急に匂い立つような生々しく妖しい
生きた原稿になっていた。
そしてなにより、
N姐の演出がすごかった。
ラジオの演出の凄味に腰が抜けた。
泥酔もしていないのに失禁しそうになった。
そのときから、
“tokyo copywriters’ street”の原稿は、
やさぐれた大人の女子でいこうと決めた。
もちろん姐さんがキャスティングしてくれた
深浦さんの声音しか、
ぼくの耳朶には響いていなかった。
何度かぼくの原稿を彼女に
読んでもらった数ヶ月後、
深浦加奈子という女優の訃報を
N姐から聞くことになる。
2008年9月、
深浦さんのお別れの会の会場。
ぼくの書いた原稿を読む深浦さんの声が、
何度もループして静かに深く響く。
その後も、
N姐からラジオ原稿の発注を、
時折いただく。
何とかかんとか書き上げて送稿すると、
「また深浦で、当て書きしてる、
もう、深浦はいないんだよ」と諭される。
以下、N姐のお言葉です。
「その声によってはじめて完成する
原稿があるのだから
生涯に一度でもその声に出会うのは
幸せなことだ。
(中略)
佐倉隊長の場合は、
せっかく出会ったのに、もういない。
それでも、やっぱり
深浦加奈子の声があったのは
幸せなことだと思う。
ほとんどの人はその出会いがないし
そんな出会いが必要な原稿も書かない」
書き手と読み手の間柄、距離を
姐さんから教えてもらった、というより
躯に刻んでもらった気がした。
今でも、たまに、そっと、ひとりで、
そのN姐が演出した
深浦加奈子という女優に読んでもらった
ラジオ原稿をCDで聴く。
深夜、酒精に負けそうそうな
ぼくの気持ちは、強く、
そして、少しだけ痛みをともないながら、
きゅっとなる。